2013年8月30日金曜日

仙台市若林区にある曹洞宗林香院での坐禅会


前ページの掲示板の写真にもあるように、林香院の坐禅会は毎月第一日曜日の早朝に行われています。

駐車場も早朝であれば、十分な空きスペースがあるでしょう。

私は二度しか参加経験がありませんが、何かの役に立つかもしれませんので、経験したことを書いてみます。

時間は午前6:00~8:30となっていますが、初めて参加する人は午前5:45までに着いていて、初めてであることを若い長身のお坊さま(副住職さまらしい)に申し出ることになっているようです。

わからないことは他の参加者がいるので聞いてみると良いでしょう。わたしの場合、やや年輩の女性が親切に教えてくれました。

服装については、黒っぽい服装を心がけている人が多いと感じました。

玄関を入ると名簿があるので氏名を書きます。当日の月のところに○印を書きます。

入って左にある下駄箱に靴を脱ぎます。

上記の副住職さまがいらしたらその旨申し出て、靴下を脱いで後について行き、禅堂に入ります。その際に手を体の前で組む仕方や敷居の跨ぎ方、スリッパへの履き替えなどについて指示に従います。廊下の棚にはとてもたくさんの坐蒲が揃えてありました。

初心者は禅堂に入って左端の奥の場所が割り当てられているようです。

そこで10分間ほど、坐蒲の扱い方から始まっていろいろな作法を教えてもらいます。初心者向けに優しく教えてくれます。難しいのは床から畳の上の坐蒲にあがるときにワクと呼ばれる木の部分に触れないようにぴょんと跳ねるようにしてあがることでした。むろん初心者が完璧にやることは期待されていません。

6時開始なのですが、既に坐禅を始めている経験者の方もちらほらいました。

広々とした禅堂はヒノキの香りがして薄暗く、落ち着いて坐禅に集中できる雰囲気です。収容人数は50名分くらいはありそうです。畳一枚の幅が一名分でスペースにゆとりを感じました。

6時に寺の外の梵鐘が鳴り、次いで堂内の鐘が鳴らされて坐禅が始まります。教えてもらったわけではなく体感で、最初に15分間ぐらいの坐禅、次いで経行(きんひん)という歩行が5分間ほど。次に30分間ぐらいの坐禅、次いで5分ほどの経行で終了し、禅堂を出ます。

次にさきほど入ってきた玄関のある部屋から階段を上って2階にあがり左方向に歩いて本堂に入ります。ここではご本尊の斜め前で誦経や焼香があります。よくわからなくても他の参加者に習って行動すれば大丈夫です。焼香(は正確な名称ではないかもしれません)の際には50円を払います。

次に同じ2階にある広間での朝食ですが、ここまでで帰る人もいるようです。

朝食の前に作務があります。初めて参加したときには、指示を受けてお粥をキッチンから運び、膳を整えるお手伝いをしました。
2度目に参加したときには庭の掃き掃除を手伝いました。見ると女性は主に朝食の準備(大きな鍋を運ぶ作業等は男性がやる)、男性は庭の掃き掃除、とおおまかにわかれているようです。事前に細かく担当が分かれているのではなく、その場その場で臨機応変にお手伝いをしている印象です。

朝食のお粥を食べる作法は、いろいろと細かい作法を求められます。私は二度とも経験者らしい人の隣に座ってあれこれ教えてもらいながら食べました。基本的に曹洞宗大本山永平寺のマナーと同じらしいです。具体的な作法は書ききれないので、スキップします。ひとことだけ書きますと、基本的に早いペースで食べます。

朝食の後、住職さまの法話があります。このとき、布袋がまわってきて参加費を入れます。中を見ずに手を入れてお金を入れます。金額は門脇の掲示板によると100円となっていますが、先ほどの焼香?時に50円を勘定にいれると残り50円ということになりますが、金額はお志ということだと思います。お札が手に触れたこともありました。立派な漆器で食事をふるまってもらえることを考えれば、総額150円だとしてもお寺側ではアシが出てしまうでしょうからその辺は各自のご判断で。

その後食卓を片づけて解散です。私の参加した日には30名前後の参加者がいました。夏には一時的に人数が増えるとのことで、平均するとこれより少ない参加人数のようです。中には15年間続けいてる、とおっしゃる人もいました。檀家の人もそうでない私のような人も混じっているようです。

肝心の坐禅の仕方については、わたし自身がさっぱりわかっていませんので曹洞宗の場合は曹洞宗の下記サイトを見ておくのが良いと思います。前出のネルケ無方氏の著書「ただ坐る」でも、とてもていねいに説明してあります。このサイトは大きなもので、各種情報が盛りだくさんですからいろいろ探してみるとよいでしょう。

http://www.sotozen-net.or.jp/propagation/zazentop/


二度参加して思ったことは、あたりまえですが日常的に自分で坐禅をしていてこそ坐禅会の参加に意味があるのだということです。