2015年1月27日火曜日

みんなの寺の瞑想会

みんなの寺の瞑想会に参加しました


去る2015/1/16(金)に、仙台市泉区長命ヶ丘にあるみんなの寺の瞑想会に参加しました。新しいみんなの寺は昨年の秋にこの場所に移転、新築されています。



こんどのお寺は環状線街道沿いのわかりやすい場所にあります。ただ、下り坂の途中なのでクルマはスピードが乗りやすいです。急ブレーキにならないよう注意しましょう。写真に見える「みんなの寺」の看板が目印になりました。


開始予定の午前9:00少し前になり、他の参加者が本堂(向かって左側)に入っていくのに合わせて
自分も中に入りました。

他の参加者に合わせて、準備に忙しい住職様に軽く会釈しておはようございますのご挨拶。

中は広々としています。最初の歩く瞑想では、フル規格(アパート用の小さいのではなく)の畳4枚分を縦方向に歩くことができました。こんなに悠々と歩く瞑想ができたのは初めての経験です。本堂の中で畳の上を歩く人の他に周囲の廊下を歩く人にも別れたので、老若男女計十名ほどの参加者だと実に贅沢に広さを使うことができました。新築の杉の香りもすがすがしく、また本堂裏の竹藪も良い雰囲気を出しています。

30分ほどの歩く瞑想に引き続いて座る瞑想です。各自座布団を拾い上げて適当な場所に座ります。座布団は柔らかい薄手のもので、坐禅用の坐蒲のように腰の高さを調節する用途のものではないようです。結跏趺坐や半跏にして坐る必要はないということでしょう。

二年ほど前に旧みんなの寺での瞑想会に参加した時には、「歩く瞑想で得た集中を切らさないようにして座る瞑想に移ってください」とアドバイスがありました。

座る瞑想は30~40分前後つづきました。鐘が鳴って読経に移ります。お経が書かれた紙が希望者に配布されます。パーリ語のお経であることは、以前紹介したサラナヴィハーラでも同じですが、サラナではスマナサーラ長老の録音音声に合わせて読経するのに対して、こちらでは住職様の声に合わせて読経します。こちらでは日本仏教の読経のリズムでいきますので、速度がかなり違います。

慈悲の瞑想は「~が幸せでありますように。....悟りの光が現れますように。」の各フレーズは一回ずつで、各フレーズの直後に沈黙の時間がとってあります。ここで「~が幸せでありますように。」を繰り返すための沈黙だと思います。

読経の後は礼拝してから短い法話がありました。この日は瞑想の成果を期待する心が、逆に道のりを遠くしてしまうという内容でした。つまり成果を期待するような気持ちを手放す必要があるということです。これはどこまでも自力で何かを成し遂げようとするのではなく、他力を信じることにも通じます。そうすることによって成果が向こうから降ってくるということです。

自分は「成果が(とても)欲しい。だからもっと瞑想しなければならないのだが、これしかできないし...。」などと考えることが続いていたので、法話の内容を自分のこととして聴くことができました。

今回は全員経験者だったらしく進行や瞑想方法についての説明はありませんでした。みなさんあまりしゃべることもなく黙々と瞑想して帰って行くという印象ですが、二年前に訪れたときには、終了後に住職様にいろいろと質問していた参加者も見受けられました。

真冬の一日ですが、中央に置かれた灯油ストーブで十分な暖かさがありました。これは幸いにもストーブの比較的近くに陣取れたせいもあるかもしれません。

パーキングは数十台分の、非常に余裕のあるスペースが確保されています。

お寺の建物内もひろびろとして開放的です。印象的だったのは建築物が大きさ、広さは別として、内外共にとても質素だったことです。

一般的にお寺は寺社建築と呼ばれる伝統建築物であることが多いと思います。長い風雪に耐える日本の伝統建築や工芸品のすばらしさを感じさせますが、同時にそれは一般の住宅建築とは比較にならないお金がかかっていることを連想させるものです。

そうしたお寺と違って、みんなのお寺はとても質素です。わたしは住職ご夫妻のお人柄とお寺の運営方針がここに現れていると感じました。

定期瞑想会のスケジュールも時間帯を増やしたりなどでさらに充実しています。都合があえば近いうちにまた参加したいと思います。

ちなみに名簿への氏名記載などはありません。初参加の方はテーラワーダ仏教系瞑想の経験があるかどうかを伝えることになるでしょう。

以上