2015年3月3日火曜日

本気で悟りを目指す修行者

本気で悟りを目指す修行者


本気で悟りを目指して修行している人達がいることを、地方に住んでいても書籍やインターネットで知ることができます。

現代の日本にも悟った人達がいるのですね。

幸運にも「正師」を得て(最下段*1参照)修行している人々がいるのだと、以下のサイトを見て思いました。


① テーラワーダ仏教

 悟りや解脱への道を明示しているテーラワーダ仏教の中でも、パオ森林僧院日本道場のマハーカルナー禅師は、このサイトのTeachersのページにあるように「一流の修行者を育てる」と宣言している点で出色ではないでしょうか。

サンガ 別冊サンガジャパン① 実践!仏教瞑想ガイドブック
左の仏教瞑想ガイドブックP363では、「アラハンを目指すことが、私に限らず全員が目指すべき目標。それが唯一、今生に生まれてきてやるべきことです。」とおっしゃっています。

その昔、お釈迦様もこのように説法なさっていたのではないでしょうか。軽い言い方になってしまいますが、感動的です。



② 禅仏教(曹洞宗)

 永平寺などのお坊さんになるための修行道場では大変に厳しい修行が行われていることが下の本を読むとわかります。


新潮社 野々村馨 食う寝る坐る 永平寺修行記
以前「谿聲山色」のところで言及した元永平寺貫首の故宮崎奕保禅師のように、悟りを開かれたお坊様は当然いらっしゃるのですが、全国に何カ所かあるこうした修行道場では悟りを目指すことを目標としているわけではないようです。





こうした修行道場とは別に、真剣な修行の毎日を送っていることで知られている曹洞宗のお寺のひとつはネルケ無方師の安泰寺でしょう。ちょっと前にはテレビCMにネルケ無方師のお顔が出ていましたね。


ネルケ無方師やその師にあたる故内山興正師の著作にもありますが、曹洞禅では「悟りを目指す」と明言しないことが多いようです。しかしながら、内山興正師の師匠であった澤木興道師の本にはこうあります。


いずれも大法輪閣
「この歳まで坐禅、坐禅と言っているのだから、もしそういう形に伝記を書いたら、大悟何遍、小悟その数を知らずと言うてもいいくらいのことはたくさんあるけれども、それはいずれも、大したことじゃない。」(大法輪閣 澤木興道 学道用心集講話 P134)






大法輪閣 内山興正 坐禅の意味と実際
やはり悟っていたのでしょう。悟った人が書いた本は面白いです。「なんだか大切そうなことが書いてある。」などと思いながら両師の著作を繰り返し読んでいます。






そして悟りを得ることこそが仏道の目的だと明言する指導者もいます。カフェ寺ライブー禅の老師を囲んでの故井上義衍老師の系統です。


以前、輪王寺のところで言及した御誕生寺住職、元総持寺貫首の板橋興宗師は、その著書「息身仏(そくしんぶつ)」(角川新書)の中(P46)で、井上義衍老師についてこう語っています。

角川新書 板橋興宗 息身佛
「ところが井上老師との初対面の問答は、これまでのものとはまったく違っていた。「コレ、なんですか」と拳骨をつき出されて、私はグーの音も出なかったのです。理屈だけで悟りを理解しようとしていた鼻をへし折られたのです。そこから、流浪の八年間が始まりました。
 本山の修行道場では目にしたことがない井上老師の解脱した圧倒的な存在感と、無重力のような仏法に参ってしまった私は、坐禅の修行を究めたいがために、本山を正式に退籍し、静岡県の浜松へ行きました。それからは、電気もない小さなお堂などでランプ生活をしながら井上老師に参禅したのです。」


「井上義衍老師語録」
「迷いと悟り」 井上義衍老師質疑録
「普勧坐禅儀・坐禅用心記提唱」
いずれも龍泉寺参禅道場発行
井上義衍老師の著作(提唱録や聞き書等)は上記サイトから購入できます。こちらも何度読んでも新しい発見のある、悟った人の言葉があります。









最後になりましたが、最近みつけたサイトで、強い印象を受けたのが無宗派の在家禅堂であるダルマサンガーDharma saMghaです。以前紹介した人間禅(臨済系)と同様の居士禅だと思います。こちらも井上義衍老師の系統のようです。

読み応えのあるサイトです。特に「摂心体験記」の「ある青年僧の大悟」は一読の価値があると思います。お釈迦様のサンガのように熱い思いで悟りを求める人達がここにもいるのだと思いました。

*1 正師(しょうし)との出会い: 

道元禅師の学道用心集でその重要性が強調されているところです。澤木興道師は、上記「学道用心集講話」P111で

「我々は何としてでも、この正師を求めるということをしなければならん。」

と、またP112では

「我々の一生は、正師を求めることがきればもう半分は終わりである。」

と語っています。

また、上記「ある青年僧の大悟」の中では、以下のやりとりを経て正師と出会えたことを、青年僧が確信する場面があります。

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挨拶も早々に、単刀直入に

「悟りって本当にあるのですか。」

穏やかな声で、それでいて力強い答えが返ってくる。

「それが無ければ、仏教なんていえませんよ。」
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以上