2015年3月11日水曜日

仏教伝来の兄弟国、中国

日本仏教と中国

(※ 2015.3.13、2015.3.21 追記挿入)

仏教についてわずかばかり学んでみたら、日本仏教の中における中国の存在の大きさに気づかされました。

命がけでインドを旅し大唐西域記を著した玄奘三蔵の物語。

鑑真和上のように苦難を乗り越えて日本に来てくれたお坊様達。

タチバナ教養文庫 中川孝 六祖壇経

達磨大師~断臂(だんぴ)で知られる二祖恵可(えか)大師~~~五祖弘忍(ぐにん)~六祖恵能(えのう) のストーリー(創作もあるといいますが)。






平凡社 別冊太陽187 空海

唐に渡り恵果大師から秘法を授けられ、日本に持ち帰り真言密教を確立した弘法大師空海。







講談社学術文庫 
全訳注:中村璋八・石川力山・中村信幸
道元 典座教訓・赴粥飯法

道元禅師は宋に渡って阿育王山や天童寺で修行し、如浄禅師から法を嗣ぎました。









こうした話の数々はドラマチックです。

では中国の仏教は今どうなっているのだろう?と自然に興味を持ちました。

平河出版社 
末木文美士/曹章示其(そうしょうき)
現代中国の仏教
左図の本は1996年に初版発行です。

P5の記述--   「共産党支配の現代中国で、仏教が必ずしも大きな勢力を保持しえなかったことはいうまでもない。特に文化大革命中は仏教は厳しい弾圧に遭い、多くの寺院は徹底的に破壊され、僧尼たちは強制的に還俗させられた。しかしその後、開放政策が進む中で、仏教寺院は次々と復興され、僧尼たちも寺院に戻ってきた。とはいっても、当初は寺院が復興してもそれは観光目当てという感じで、宗教としての仏教が復興するようには思えなかった。ところが、1980年代の後半頃から仏教ブームともいうべき現象が生じ、もちろん社会のある一定範囲に限られるものの、仏教の影響は無視できないまでになってきた。」

同P6-- 「本論文によると、仏教ブームが起こったのは1986、7年頃からであり、論壇では反伝統文化の傾向が高潮した頃、長く封建的な迷信として日の目を見なかった仏教書が次々と出版され人々の生活の中に入り込むようになった。最初は海外からの翻訳書で池田大作「私の仏教観」、鈴木大拙「禅と日本文化」「禅学入門」、フロム「禅と西方世界」などが刊行され、その後次第に国内の学者の作品も刊行されるようになった。これらは仏教を「人民を麻痺させる精神的なアヘン」としか考えていなかった人々を驚かすに足るものであった。
 今日、仏教信者の数は統計的に不明であるが、僧尼は三万余人にのぼる。河南省浚県博物館がその敷地に立てた廟宇(びょうう)は、毎年100万人以上の参拝客があり、20万元以上の入場券収入がある。

P8-- 「過去には人々は仏教を信ずることは迷信であり、愚昧なことと考え、他方、仏教を信じている人は自分を正しいと考えて両者は対立していたが、最近では仏教を信ずる人も堂々とそれを表明できるようになってきている。恐らくその理由のひとつは、今日のように物質的欲望ばかり横行するするようになると、「諸悪莫作(しょあくまくさ)、衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)」を唱える仏教信者のほうが金の亡者よりはるかによいと考えられるようになってきたためであろう。一般の民衆だけでなく、知識層などにも仏教信者は増えてきている。」

(諸悪莫作:「すべての悪を作さずということ。」、衆善奉行:「諸の善を行うこと。」(広説佛教語大辞典より))

P9--( *1 ) 「もう一つの仏教流行の原因は気功の大流行によるものである。当今の気功ブームは全国的に驚異的な数の気功愛好者を生み出したが、気功師たちは大部分が仏教か道教と関係を持っている。気功愛好者は気功の実践から進んで、その理論を研究し、さらに仏教を再発見するに至るのである。」

P11-- 「そこには、本論文の筆者が批判するようないかがわしい要素や金もうけ主義がないわけではない。開放政策や自由経済の導入は社会にさまざまなひずみを生み、心の支えを失った人が仏教に心を寄せるという面もあるであろう。そこからどのように仏教が定着して、深い文化を生み出してゆくことができるか、それはこれからの課題だといわなければならない。」

明るい見通しが示されていて個人的に嬉しいのですが、ここで上記(*1)が注目されます。気功といえば法輪功を思い起こさせるからです。Wikipediaの信頼性がどれほどのものかについては議論が分かれるところですが、Wikipedia法輪功によると、法輪功が中国当局によって厳しく取り締まられるようになったのが1999年のことだといいます。上図の「現代中国の仏教」が出版された後のことです。従ってこの本の内容と今現在の中国における仏教の状況には大きな差違があるのではと推察されます。


法輪功とはどんなものかについては、法輪功の日本語サイトからいくつものPDFファイルをダウンロードできます。

その中の轉法輪というテキストを読んでみると、執着を離れることの重要性を述べているあたり(P4)は、仏教らしい教えだと思いますが、禅宗の教えに対してはかなり否定的であるようです(P11)。P33では「人間が死ぬ時、身体の中の原子核がそんなに簡単に死んでしまうでしょうか?」との記述があり、理解しにくさを感じます。それ以降は未読です。

中国当局が法輪功をどのように見ているかは中国の日本国大使館のサイトにあります。「中国のオウム真理教」という表現を使っています。

ここで、昔ながらの仏教の話に戻ります。

Erik Schiketanzという東京大学の研究者の「近代中国仏教の歴史認識形成と日中仏教交流」という279ページの学位論文がネット上にあります。

日本仏教が近代中国仏教に与えた影響などが緻密に解説されています。訪中した日本人仏教者が昔の中国仏教を理想像として近代の中国仏教を評価していたとのくだりは、やっぱりそうなるだろうなあと思いました。昔の中国仏教に対する憧れの気持ちは理解できます。

信仰している人々の様子や、僧がおこなっている修行、教えの内容などには焦点をあてていません。ちなみにこの論文には法輪功や気功といった単語は見つかりません。


-------- 以下 2015.3.21 追記 --------
龍谷大学アジア仏教文化研究センター(BARC)というところからPDFファイルでさまざまな報告書をダウンロードできることをみつけました。

2011年度第2回国内シンポジウムプロシーディングスの報告Ⅰには「中国仏教の現状についてー福建省仏教を中心にー」があり、目新しい情報が多くありました。

P11-- 「福建省では、黄檗宗、臨済宗、雲門宗などの有名な禅宗道場がある。禅宗は座禅修行以外に農作業をする伝統がある。例えば、唐の道一禅師の”一日不作、一日不食”という逸話が有名である。従って、観光寺院を除いてほとんどの寺院は田、茶畑、果実の農園などを持っている。特に福建省は茶の産地なので、多くの寺は茶を作っている。〜〜〜このように福建省寺院のほとんどの僧侶は朝晩の勤行、念仏座禅のほかに、農作業もするという自給自足の農禅一致の生活を送っている。これは禅宗を受け継ぎ、現在中国仏教が提唱した修行と働きを両立する思想を実践しているのである。」とあります。社会体制に合わせた、寺の存在形態という見方もできますが、欧州のキリスト教寺院のあり方とも似ています。日本でも安泰寺では自給自足の修行生活をしていると聞きます。

P12にはお寺が文化大革命をどのように乗り切ったかの例が紹介されています。キリシタンみたいです。

印象深いのは、(P13〜16)平興寺の界詮法師のお話です。

「彼は、戒律が仏教の命であり、特に激しく変化する現代にこそ、戒律が必要であり、厳しく戒律を守れば、社会の濁流に流されることはないと考えた。〜〜〜今の中国では、このように戒律を重んじ、名誉、地位、金銭に淡泊な若い僧は珍しく、評判となり次第にその名が知られ、各地から彼に親近(seva(aの上に−があります))するために駆けつけてきた僧が増え、1998年に寺院を拡大改善し、〜〜現在は約300人の僧侶が常駐して、戒律の勉強と実践を行っている。〜〜ここで勉強するものはすべて自発的に駆けつけてきたのであって入試や募集を通して入ってくるのではない。入学の特別な条件はなく、原則として、寂しさに耐え、学堂の規則を厳しく守ることができ、また独学の能力がある者なら誰でも学堂で勉強することが許される。基本的に出入りは自由である。従って、学堂の厳しい生活に耐えられず出て行く者も少なくない。」

まるで昔の中国寺院の様子を彷彿とさせる、などと考えるのはロマンチックにすぎるでしょうか?

もうひとつ印象深いのは(P17〜18)寺院生活サークル『福慧の旅』のお話です。

「このような社会世相だからこそ、サラリーマン或いは企業家を対象に寺院生活体験イベントを相次いで開催している。〜〜静かな寺院の独特な環境の中で、仏法を聞き、座禅体験し、自我を見つめ直して、生命の価値を見いだし、特に直接僧侶と対話して、人生について話せるということで、反響が非常に良く、〜〜〜この『福慧の旅』に参加して、仏法に啓発され人生観が変わり、出家した大学生が少なくないそうである。現在北京郊外にある龍泉寺には、北京大学や清華大学などの出身大学生が10数人出家している。彼らのほとんどは出家する前、この『福慧の旅』に参加した経験がある。」


同報告書P53〜のパネルディスカッションには、

(P56)「5年前のことですが、山西省のある尼さんは銀行に勤めていたそうですが、毎日毎日人の金ばかり扱っているのが嫌になり、それで、もっと自分には自分らしい生き方があるんじゃないかと思ってここに辿り着いたんと、非常に生き生きと自己表現をされているのを聞いて、中国も随分変化してるなという感じを受けました。」

「ボランティア」という言葉も使われています(P58)

また、昔の居士は、主に仏教を研究する活動が多かったのですが、現在の居士は、お寺の法会や行事のボランティアをやっていることが多いです。さきに紹介しましたような『福慧の旅』に、毎回100人ぐらいの居士がボランティアで手伝って来ています。こういうような居士が中国仏教やお寺を支えているのです。」

少し話が外れますが、2010年度全体研究会プロシーディングスのP49「中国における崇仏と排仏 −なぜ、仏教は排斥されるのかー」には、廃仏の時代のあとに仏教の隆盛がやってくる歴史的傾向があることが紹介されています。現代の日本仏教の様相にも当てはまりそうな法則?だとか。詳しくは本書をどうぞ。

BARC報告書紹介の最後は、2012年度研究報告書の(P303〜313)「中国山西省仏教遺跡および現代仏教の実態調査」からです。

「悟征師によれば、玄中寺には毎年多くの日本人が訪れるが、今回のように日本人とお互いに率直な意見交換を交わしあい交流したのは初めてとのことである。悟征師は、最初はやや面倒で迷惑そうな様子であったが、話しているうちに徐々に熱が入り、最後には非常に熱心に話して下さり、日本人と交流できたことを喜ばれていたことが印象的であった。」
----------- 以上 ----------


インターネットでは、例えば「○○宗 中国 交流」をキーワードとして検索すると、現在の日本仏教各宗派と中国仏教界の交流を示す記事が見つかります。

① 天台宗

天台ジャーナルという広報記事に交流の記事が見られます。

国清講寺で開宗1200年慶讃大法会円成を奉告-半田座主猊下を名誉団長に天台宗訪中団-

木ノ下宗務総長が初訪中―半田座主猊下の親書を允観・国清講寺住持へ―


② 真言宗

密教文化研究所のサイトには、「空海・長安への道」という296ページに及ぶPDFの報告書がアップされています。

弘法大師御入定1150年御遠忌を記念して1985年に行われた訪中の記録です。第一章の「大師をしたいて」という標題には、訪中した僧達と訪中を成功に導いた関係者の気持ちが感じられます。

P3--「赤岸鎮。その浜におりたった五人の真言僧は泣いた。」で本文が始まります。

P65--「いま、そこでは、日本の全真言宗と中国仏教協会、西安市が協力して唐代の建築様式はそのままに、青龍寺を再現しつつあり、この9月には完成する。」

P213--「現在の中国仏教は禅と浄土系が主流である。しかも、ほとんどの寺院は坐禅と念仏を併用して行う。禅宗寺院であれば坐禅を主とし、浄土宗であれば念仏を主とする「禅浄双修」である。密教は朝夕の勤行で読まれる各種の咒で残っている。」〜
〜「青龍寺が密教道場として復活することは、日本真言宗の悲願である。そして中国側に密教が芽ぶく土壌は、青龍寺であろうと考える。」

P226--「寺には信者の為の宿泊施設があるが、粗末なものである。それでも多くの人達が朝課に参列するために宿泊している。寺の朝課は朝の三時頃からで、信者の人達が熱心に礼拝している姿が美しい。」

人々の心に根付いた仏教があるように感じられます。


③ 曹洞宗・臨済宗黄檗宗

日中臨黄友好交流協会のサイトに平成18年~平成25の日中禅僧交換交流の記録があります。第9回第7回臨済禅師1150年遠諱記念訪中団にはPDFファイルの報告書があります(H27.年3月現在)。

これらの訪中は日中臨黄友好交流協会と曹洞宗大本山永平寺の共催によるものです。

第9回報告書のP3から-- 
「それから白馬寺に常住されている居士さん、信者さんの多さにも驚きました。広大な敷地面積を誇る白馬寺には、百人以上の僧侶が在籍していますが、観光地でもあるため僧侶には多くの職務があります。そこで普段から、多くの信者さんが境内の掃除、食事の準備、受付などを手伝われていました。また朝課や晩課、食事、坐禅なども積極的に参加されており、とりわけ信者さんの個人的な法要にも僧侶と同じように出頭し、同じように読経されているのには驚きました。そして日本から来た私たちにも、境内ですれ違えば、笑顔で合唱し「阿弥陀仏(オミトフ)と言って頭を下げてくださる信者さんたちには胸を打たれました。」

これ以外にも信者達の信仰の深さを物語る記述がいくつもあります。坐禅についてはどうでしょう。

同P8から--
「中国での坐禅は日本の様に規則に沿って座るということはありませんでした。大半の方が座った瞬間に眠りについておられ、携帯電話があたり前のように鳴っていた光景には少し残念な気持ちになりました。」

ちょっとがっかりするお話ですが、前出の「現代中国の仏教」P371~372によれば--
「高旻寺(こうびん(みん)じ?)揚州市~~僧侶が六十余名いる。隋代に創建され、清のときはその全盛期で~~香港の居士の寄付で、89年に300人収容できる坐禅堂が完成し、92年に大雄堂殿も完成した。寺は坐禅修行と戒律厳守で名高い。虚雲法師はこの寺で坐禅して悟ったという。現在では法会などをしないで坐禅を専修する寺は、ここと西安の臥竜寺だけである。毎年の旧暦10月15日からの「参七」という坐禅期間には、おびただしい僧尼が各地から集まる。」

とあります。修行の様子を詳しく知りたいですね。

2015-3-13 追記 ------------
 「高旻寺 坐禅」で検索してみると中国語のサイトが列挙されます。何しろ読めないのですが、一部はGoogle翻訳ができました(訳された日本語は何かのヒントを探せるかなという程度でした)。高旻寺を紹介する動画もあります。坐禅の様子を知る手がかりは見つけ出せませんでした。読み方はGaomin寺のようです。」 
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わたしたちは共産圏の国というと、外国からの訪問団に対しては当局が動員をかけて歓迎ムードを演出しているのではないかと勘ぐってしまう傾向がありはしないでしょうか?上のような記録からは、中国には素朴な信仰心をいだく人々が少なからずいることを学べるように思いました。

最後にチベット問題に少しだけ触れます。

前出の「現代中国の仏教」P280~281--
「また、中国仏教協会の名誉会長で、ダライ・ラマの亡命後中国国内のチベット系仏教の最高指導者であったパンチェン・ラマ(班禅大師)は1989年に亡くなったが、同年、国務院の通告によって転生の霊童探しが始まった。ところが、亡命中のダライ・ラマ十四世が95年、青海省出身のニマ少年を転生の霊童として認定したのに対し、中国政府側はチベット自治区出身のノルブ少年を認定し、両者の亀裂が一層深まることになった。これは甚だ不幸なできごとといわなければならない。」

ダライ・ラマ14世に対する中国日本大使館の見解は次のサイトでわかります。

中国大使館の立場--日本民主党幹事長鳩山氏とダライラマの会見について


文藝春秋社 ダライ・ラマ 
山際素男訳 ダライ・ラマ自伝

はしがきから左図の本の原書(英語)が書かれたのは1990年のようです。この自伝を読むとチベット問題の規模、深刻さ、凄惨さが胸に迫ります。チベット問題について、これ以上のことはわたしには書けませんが、ダライ・ラマ14世のお人柄等について少し。






・サンガ新書 ダライ・ラマ科学への旅
ダライ・ラマ 伊東真訳
・春秋社 ダライ・ラマ実践の書
ダライ・ラマ14世テンジン・ギャツォ
ジェフリー・ホプキンズ編
宮坂宥洪訳
・WISDOM PUBLICATIONS
THE MEANING OF LIFE
HIS HOLINESS THE DALAI LAMA
少しばかり読んだ本に加えて、昨年(2014年)は地元仙台で行われた講演「東日本大震災神道祈りの会」で生のダライ・ラマも(2階席で遠くから)拝見しお話も聴きました。仏教の心をベースにしてこれほど仏教の臭いのしない話ができる方は他にいるでしょうか?お人柄の印象を表すと、自伝の役者あとがき(P429)で山際素男氏が以下に書いているとおりです。

「それでいて、これほどまでに深刻な世界を背負っている法王から感じる一番の特質と強い印象は、明るさと光である。それは真に驚くべきことではないだろうか。どこからこの明るさ、ときにはユーモラスに己を語る余裕が生まれてくるのだろう。そしてその光と明るさは、わたしたちを、チベットになんの関係もないところで生きている人びとをも励まし、支えてくれるものであることに気づかされるのである。」


最後に仏教者としてのダライ・ラマ14世の日常が窺える一文を。

自伝P320--
「日課として、わたしは祈りと瞑想と勉学に最低五時間半は費やす。これに加えて、たとえば食事の際、旅行のおりおりに機会があればお祈りをする。祈りには三つの理由がある。まずは日々の務めを全うするための心構え。第二に、時間を充実させるのに役立つ。三番目は、恐怖を和らげる!仏教徒としてこれはもっとも大事なことだが、宗教的実践と日常生活の間にわたしは区別をおかない。宗教的実践は二六時中のものだからである。実際、目覚めから洗顔、食事、就寝中に対してさえ定められた祈祷がある。宗教行者として、深い眠りのなかや夢をみているときに行うこうした行為は死に対する最も大切な準備なのだからだ。
しかしわたしには早朝がいちばん祈りに適している。そのときが最も新鮮で研ぎ澄まされているからである。だから朝四時頃には起きる。目が覚めるとまずマントラ(真言)を唱え、一日が始まる。それから熱い湯を喫し、薬を飲み、ついで三十分ほど仏陀にひれ伏して挨拶をする。これには二つの意味がある。一つは、正しい発心を促し、己自信の功徳を積む。次に、体にいい。伏拝を終え、マントラを唱えながら顔を洗う。それからたいていは外へ散歩に出る。もちろん、そのときも祈祷を唱えている。その後、五時十五分頃朝食だ。三十分ぐらいかけてたっぷり栄養のある食事を摂り、食事中は経典を読む。
五時四十五分から八時まで、六時半のBBC放送を聞いている間中断する以外、瞑想に耽る。八時から正午まで仏教哲学の時間だ。それから十二時半の昼食まで新聞、公文書などに目を通し、食事中はやはり経典を読む。一時に役所に行き、政府関係その他諸々の業務に携わり、五時まで引見に時間を費やす。その後帰宅すると短い時間瞑想したり祈ったりする。最近は六時のお茶の前に、見たいテレビがあるとそれを見る。お茶の間にも経典を読み、八時半か九時まで祈祷し、就寝する。あとはぐっすりと睡るだけだ。
もちろんこのルーティンはいろいろと変わる。~~」


以上