2015年9月10日木曜日

マハーカルナー禅師の原始仏教トーク-No.002-社会の中で生きる(podcastの音声から文字起こししたもの)

これはpodcastの音声を聴いて文字にしたものです。誤字脱字があるかもしれません。見つけ次第訂正したいと思います。

すでに同じ音声の文字起こしをなさっている他の方がいらっしゃるかもしれませんが、無常の世の中、自然災害、事故、等なんらかの理由で、音声や文字で伝える幾つかのサイトが一度に失われてもおかしくありません。


そのような状況でも、残っているサイトがあれば、貴重な教えを残すことができると考えて、自分も文字にしたものを掲載します)


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社会の中にありながら、世俗の垢に汚されずに生きることは可能である、とお釈迦様はおっしゃっておられます。

サンユッタニカーヤの巻の三、カンダハヴァガの中に、次のようなお経があります。

あたかも青蓮華(あおれんげ)あるいは白蓮華(しろれんげ)が水の中に生じ、水の中で成長し、水の中から現れ出て、それでいて、泥水に一切汚されていないように、まさにそのように、人格を完成した人は、世間の中にあっても、そこで成長し、世間に打ち勝って、しかも、世間の垢に一切汚されないでいることができる。

この例えはとても有名ですから、皆さんもどこかで聞いたことがあるかもしれません。

人が社会の中でより善く生きていくためには、どうしたらいいのか?

この質問に対するお釈迦様のお考えが、このお経にこめられていると思います。

マジマニカーヤの第54経、ポッターリヤースッタに、次のような話が載っています。

昔、ポータリヤという大資産家がいました。

ある時思い立って、自らの膨大な資産を、子供達にすべて譲り、仏教ではない他の修行の道で、出家修行に入りました。

そんなある日、森で偶然にも、お釈迦様に出会ったのです。

お釈迦様は、彼にこう言いました。
資産家よ、ここに席が空いている。
こちらに来て、座りなさい。
これを聞いて、ポータリヤは憤慨しました。
ゴータマは私に向かって、資産家と呼びかけた。
つまり、私を出家修行者として認めない、ということではないか。
そこで彼は、お釈迦様に言いました。
我が友ゴータマよ、財宝であれ、穀物であれ、金銀であれ、かってこの世で私のものであったすべての財産は、子供達に譲ってしまいました。
今では私は、ひとりの出家修行者として、最低限度の衣(ころも)、食べ物、寝床を受け入れ、この森で質素に暮らしています。
私は一切の世俗の行動を捨て去りました。
私は俗世間との関わりを完全に断ち切るために、一生懸命修行しているのです。
彼は内心、
今では立派な出家修行者として、森で生活している私を、どうして資産家などと呼ぶのか?
たとえ昔そうであったとしても、今の私をそのように呼ぶのは、至極(しごく)不適切ではないか?
と考えたのでしょう。

この人は、出家生活のほうが、世俗の生活より優れている、と考えていたのでしょう。

ところがお釈迦様は、このようにおっしゃいました。
智慧ある人の行う自己規律の方法というのは、あなたが考えているやり方とは、だいぶ異なっている。
あなたのやり方では、俗世間との関わりを完全に断ち切ることなどできないであろう。
そして、次のように教えを説かれました。
八つのことだけを、きちんとなしなさい。
八つとは何か。
一、他の生命を傷つけないこと。
二、真実の言葉だけを語ること。
三、自分に与えられたものだけを、手に取ること。
四、人の陰口を、決して言わぬこと。
五、物や財産を、貪らない(むさぼらない)こと。
六、他人を誹謗中傷したり、暴言を吐いたりしないこと。
七、怒らないこと、悩まないこと。
八、慢心を持たず、いつも謙虚でいること。
これだけで、俗世間との関わりを、完全に断ち切ることができるであろう。
これを聞いたポータリヤは感動し、さっそくお釈迦様に、
私は今まで続けてきた出家修行を、今ここで放棄します。
どうか私を、あなたの在家修行者として、受け入れてください。
と、懇願したそうです。

森、あるいは僧院、あるいは修行道場という、いわば理想的な環境に身を置いて、出家修行者として、昼夜修行だけを行うことは、時として、魅力的に見えます。

しかし、ただそれだけで、優れた修行者になれるわけではありません。

むしろ、面倒な縛りの多い社会の中で、家庭を持ち、普通の仕事を持ちながら、仏教を学び、実践しながら、立派に生きていくことのほうが、どれだけ大変なことか、どれだけ優れていることか。

(と)お釈迦様は、私たちに教えてくださっているのです。

もう一度、お釈迦様のおっしゃられた八項目を繰り返してみましょう。
一、他の生命を傷つけないこと。
二、真実の言葉だけを語ること。
三、自分に与えられたものだけを、手に取ること。
四、人の陰口を、決して言わぬこと。
五、物や財産を、貪らないこと。
六、他人を誹謗中傷したり、暴言を吐いたりしないこと。
七、怒らないこと、悩まないこと。
八、慢心を持たず、いつも謙虚でいること。
ここには、修行せよとか、瞑想せよとか、身を慎めとか、節制禁欲をせよとか、そういうことは、ひと言も触れられてはいません。

社会の中で、いかに人を傷つけずに、立派な社会人として生きていくか。

それをお釈迦様は教えてくださっているのです。

ちょうど、泥水から成長した、美しい蓮華のように。

お釈迦様の言われた、八つのルールをしっかり守って、社会の中で生きていく。

それもまた、立派な仏教徒としてのあり方だと、心からそう思います。

(以上)
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