2015年11月11日水曜日

マハーカルナー禅師の原始仏教トーク-No.006-四摂法Ⅲ-利行(1)~善意をもって善行をおこなう~(podcastの音声から文字起こししたもの)

これはpodcastの音声を聴いて文字にしたものです。誤字脱字があるかもしれません。見つけ次第訂正したいと思います。

すでに同じ音声の文字起こしをなさっている他の方がいらっしゃるかもしれませんが、無常の世の中、自然災害、事故、等なんらかの理由で、音声や文字で伝える幾つかのサイトが一度に失われてもおかしくありません。


そのような状況下でも、残っているサイトがあれば、貴重な教えを残すことができると考えて、自分も文字にしたものを掲載します。



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皆さんと一緒に四摂法(ししょうほう)というダンマを勉強していますが、四摂法、人を慈しみで包み込む四つの態度、とはどういうものか、もう一度復習してみましょう。
一、相手に対して、布施を行いなさい。
二、相手に対して、優しい言葉を話しなさい。
三、相手に対して、善なる心をもって、善なる行為を行いなさい。
四、心にある、自分と相手との境界線を取り払いなさい。
以上の四つでしたね。

この四つさえ確実に実践していけば、誰からも好かれ、尊敬され、人望も上がり、仕事も、家庭も、修行も、すべてが大成功する、と言われています。

今回は、四摂法の第三番目、相手に対して、善なる心をもって、善なる行為を行う、ということについて、お話していきましょう。

ところで、相手に対して、善なる心をもって、善なる行為を行う、ということは、必ずしも、相手が自分に求めている行為、あるいは、相手が喜ぶであろう行為を行うということではありません。

どういうことでしょうか?

人は往々にして、直接間接を問わず、また意識的か無意識的かに関わらず、他人を善ならざる行為に引き込んでしまうことがあります。

そういう場面に遭遇すると、私たちは相手に合わせた行動を取りがちですね。

つきあいもあるし、せっかくの良い雰囲気を壊したくないし、断りづらいし、ということで、ちょっとぐらいの悪いことだったら仕方がないか、相手に合わせてやらざるを得ないだろう、ということはありませんか?

しかしそれは、相手の利益にも、私たちの利益にもなりません。

そういう場合は、私たちは、相手を傷つけたり怒らせたりしないように、よおく注意しながら、相手が善なる方向に自分から向かってくれるよう、それとなく促していくのです。

相手も私たち自身も、善なる心をもって、善なる行為を行えるよう、いつも心がけていなければなりません。

それでは、お釈迦様が説かれている、善なる心をもって行う善なる行為とは、どういうものでしょうか?

それは具体的には、十種類の善なる決意を意味します。
行為によって決して他人を傷つけない、という三つの決意
言葉によって決して他人を傷つけない、という四つの決意
そして、
他人を傷つける行為や言葉を生み出す原因となるような、不善な思いを、決して心に生起させない、という三つの決意
合計十種類の善なる決意から成り立っています。

今回は最初の、行為によって決して他人を傷つけない、という三つの決意についてお話します。

この三つの決意はまとめて、クーサラカーヤッカンマ、善身業(ぜんしんごう)、善なる身の業、善身業とも呼ばれています。

まず最初は、パーナーティパータ・ウィラーティ、離殺生(りせっしょう)、殺生を離れる決意をする、ということです。

他の生き物の生命を決して奪わない、と堅く決心し、またそのように気をつけて行動するということです。

お釈迦様は、
棒を置き、刀を置きなさい。
恥じらいを持ち、慈愛で心を満たしなさい。
すべての生き物が幸せになることを願い、憐れみの心を持って、生きていきなさい。
と、教えてくださっています。

人間はもちろん、動物や、小さな虫に至るまで、肉眼で見える範囲の生き物の命を、決して意図的に奪わない、という決意を持った心は、たとえようもなく美しい心です。

そして、たいへん大きな福徳を生みます。

それは、一切の生きとし生ける命に対する、無条件の慈しみの心にまで、成長していきます。

スッタニパータのメッタースッタ、慈しみのお経、でお釈迦様は、
一切の生きとし生ける命に対する、無条件の慈しみの心の確立は、この世における崇高な境地である。
と、おっしゃっておられますね。

一切の生きとし生ける命に対する慈しみの心を確立することができれば、この世における、その人の境涯は、想像を絶する高みに達することでしょう。

二番目は、アディンナーダーナー・ウィラーティ、離偸盗(りちゅうとう)、盗みを離れる決意をする、ということです。

これは、自分に与えられたものだけを受け取る、与えられていないものは、たとえ、砂浜の砂一粒であろうと、手に取らない、と堅く心に誓うということです。

お釈迦様は、村に置かれた、あるいは森に置かれた、他人の財産や必需品を、与えられていないのに、盗み心を持って、手にするようなことを、決してなしてはならない、と説かれています。

この決心をすることによって、私たちは、陰日向の無い、正直で、公平で、平等な心を育てていくことができます。

悲しいことに、世の中には、そういう心を持っている人は、それほど多くいません。

もしあなたが、陰日向の無い、正直で、公平で、平等な心を持つことができれば、それは、周りの人々に、たいへん大きなすばらしい影響を与えることでしょう。

そして、とても大きな尊敬を得ることができるでしょう。

三番目は、カーメースミッチャーチャーラー・ウィラーティ、離邪淫(りじゃいん)、邪淫を離れる決意をする、ということです。

これは、男女関係、恋愛関係を結ぶにあたって、第三者を決して傷つけない、と決心することです。

どういうことでしょうか?

例えばあなたが、まだ他の誰かとコミットした関係を持っている。

つまり、まだ配偶者がいる、あるいは、つきあっている人がいる、という状態だとしましょう。

あるいは逆に、新たに関係を結びたいと思っている相手が、いまだ、他の誰かとコミットした関係を持っている、としましょう。

もし、そのような状態のまま、あなたが、その相手と新たな恋愛関係を結べば、それによって、必ず誰かが、大きく傷つくわけです。

あなたの配偶者か恋人、あるいはその相手の配偶者か恋人が、たいへんな苦痛を味わいます。

そのような状況では、決して、新たな恋愛関係をスタートさせてはいけません。

新たな恋愛関係を結ぶときには、自分も相手も、過去の関係をきちっと終わらせていること、双方ともクリーンな状態であること、これが、絶対に必要になるわけですね。

お釈迦様は、
たとえどんなに魅力的に見えても、異性の心をとらえるために、たとえどんなに美しく飾り立てていようとも、配偶者、家族、親族、恋人、家系、ダンマ、雇い主、法律などによって守られている女性に、近づいてはいけません。
と諭されています。

どれだけ多くの人が、異性間のトラブルで、身を持ち崩していますか?

将来を嘱望されているようなすばらしい人材が、大きな業績を成し遂げた人が、みんなこれで評判を落とし、批判を浴び、社会的に葬られてしまうのです。

邪淫を離れる、そう堅く決意をすることによって、異性間のトラブルの大部分は、避けることができるのです。

というわけで今回は、四摂法の第三番目、相手に対して、善なる心をもって、善なる行為を行う、のうちの、行為によって決して他人を傷つけない、という三つの決意についてお話しました。

次回は、言葉によって決して他人を傷つけない、という四つの決意について、お話致しましょう。


(以上)
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