2015年11月14日土曜日

マハーカルナー禅師の原始仏教トーク-No.007-四摂法Ⅳ-利行(2)~善意をもって善行をおこなう~(podcastの音声から文字起こししたもの)

これはpodcastの音声を聴いて文字にしたものです。誤字脱字があるかもしれません。見つけ次第訂正したいと思います。

すでに同じ音声の文字起こしをなさっている他の方がいらっしゃるかもしれませんが、無常の世の中、自然災害、事故、等なんらかの理由で、音声や文字で伝える幾つかのサイトが一度に失われてもおかしくありません。


そのような状況下でも、残っているサイトがあれば、貴重な教えを残すことができると考えて、自分も文字にしたものを掲載します。


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四摂法(ししょうほう)、人を慈しみで包み込む四つの態度、を皆さんと一緒に勉強していますが、今回は、四摂法の第三番目、
相手に対して、善なる心をもって、善なる行為をおこなう
のパート2。
言葉によって決して他人を傷つけないという四つの決意
についてお話していきましょう。

言葉によって決して他人を傷つけない四つの決意、これらはまとめて、クーサラワーチーカンマ、善語業(ぜんごごう)、善なる言葉の業、善語業、と呼ばれています。

まず最初は、ムーサーワーダー・ウィラーティ、離妄語(りもうご)、妄想の妄に、語と書いて、妄語(もうご)、それを離れるということです。

これは、決して嘘をつかないと決意する、ということです。

お経で、お釈迦様は次のように説かれています。
人々のところへ行き、あるいは親族の集まりへ行き、あるいは組合の集まりへ行き、あるいは王家へ行き、呼び出され、証人として問われるとしよう。
さあ、知っていることを話しなさい、と。
彼は、知っていなければ、知りませんと言い、知っていれば、知っていますと言うべきである。
あるいはまた、見ていなければ、見ていませんと言い、見ていれば、見ていますと言うべきである。
自分のため、あるいは他人のために、あるいは、わずかな利益のために、故意に、嘘をついてはならない。
これが、妄語すなわち、嘘を離れる決意をする、ということです。

特に、自分に有形無形の利益をもたらすため、あるいは、相手に有形無形の損害を与えるためにつく嘘は、非常に重大な悪業をつくります。

そうでなくても、嘘はつかないほうが良いですね。

なぜなら、嘘は必ずいつか、ばれるからです。

他の人は、あなたに何も言わないかもしれませんが、ささいなことについて、あなたがついた嘘は、他の人達の記憶に長くとどまります。

そして、あなたは自らの尊厳を、自分で汚し、自分で、自分の信用を落としていくのです。

嘘をつかないのではなく、どんなときでも正直でいると堅く決心し、それを、自分の情熱にまで高めていったほうが良いのです。

そうすることによって、あなたは、一番大切なものを得ることができます。

他の人からの絶対的な信頼です。

正直であることは、どんなときでも、とり得る最善の方策である、ということですね。

この言葉を旨として、人に接していくのです。

そうすれば、あなたは人々から、お金では買えない、とても大きな信用を勝ち得ることができます。

次は、ピスナワーチャ・ウィラーティ、離両舌(りりょうぜつ)、両方の舌と書いて両舌。

両舌を離れると決意する、ということです。

AさんにBさんの悪口を言い、BさんにAさんの悪口を言い、AさんとBさんを喧嘩させて、自分に都合の良い状況に、事態を操っていこうとする。

これがいわゆる二枚舌、両舌といわれる行為です。

両舌の場合は、嘘や誇張が語られることが多いですが、もし仮に、それが本当のことであっても、言う必要のない事実であれば、言うべきではありません。

お経で、お釈迦様は、
こちらの者達を離反させるために、こちらで聞いてはあちらで話すとか、あちらの者達を離反させるために、あちらで聞いてはこちらで話す、ということをしてはいけない。
むしろ逆に、離反している者達を調停し、あるいは、融和している者達を、さらに励まし、融和を助長し、和合させることを楽しみなさい。
和合において楽しみ、和合において喜び、人と人との間に、和合をもたらす言葉を語る者となりなさい。
とおっしゃっておられます。

嘘の場合と同様、自分に有形無形の利益をもたらすため、あるいは、相手に有形無形の損害をあたえるために行う両舌は、非常に重大な悪業をつくります。

両舌を一度でも行うと、友人の間でも、社会においても、あなたの信用は失墜してしまいます。

両舌というのは、AさんとBさんがコミュニケーションをとらないという、非常に危うい前提の上に成り立っています。

ですから遅かれ早かれ、あなたの作戦は、白日の下にさらされることになります。

そのときあなたは、完全に信用を失うのです。

ですから、たとえ些細なことであっても、決して両舌を使わない、と堅く決心しなくてはなりません。

さらに一歩進めて、他の人の悪口やうわさ話は一切しない。

他の人については、良いことがあれば話すけれど、話すべき良いことが無いのであれば、沈黙を守る、と決心するべきでしょう。

また、争っている人達がいれば、仲直りさせ、相互に和合をもたらすよう、努力するべきでしょう。

これが、離両舌、両舌を離れるということです。

これは、非常に高潔な美徳です。

この徳を身につけた人は、周りから、大きな賞賛と尊敬を勝ち取ることができます。

次は、パルサワーチャー・ウィラーティ、離悪口(りあっこう)、悪口と書いて、あっこうと読みます。

悪口とは、荒々しい言葉、あるいは、荒々しく人を叱責することを言います。

決して悪口を語らない、と決意するという教えです。

これは四摂法の第二、相手に対して優しい言葉をかけなさい、と同じ意味ですね。

私達は、怒りや、嫉妬や、物惜しみや、不安、あるいはその他の不快感を心に持ったまま、人に語りかけてはいけません。

また、こちらに怒りがないとしても、相手に、怒りを持っていると取られるような話し方は、するべきではありません。

なぜでしょうか?

それによって、相手に怒りが生じてしまうからです。

話すときは、相手に、怒りや、嫉妬や、物惜しみや、不安や、その他の不快感が生じないよう、細心の注意を払って話すべきです。

お釈迦様はお説きになっています。
過失が無く、耳に快く、愛情に満ち、心に響き、優雅であり、多くの人々に愛され、多くの人々に喜ばれる、そのような言葉を語る者になりなさい。
では人に注意をしたり、しかったりしなければならない場合は、どうしたら良いのでしょうか?

お釈迦様は、人をしかるときは、五つのことに注意をしてしかりなさい、と教えてくださっています。

それは、
一、しかる時と場所を選びなさい。また、しかられる人が、最も受容力がある状態のときを選んで語りなさい。
二、客観的な事実にもとづき、バイアスの無い視点で語りなさい。
三、粗暴な言葉を決して使わず、柔和な言葉で語りなさい。
四、落ち度を指摘して責めるのではなく、今後のさらなる利益、発展を生むために語りなさい。
五、しかる側は、決して心に怒りを持って語ってはならない。慈しみの心で語りなさい。
というものです。

この理法に例外はありません。

まさに、お釈迦様のダンマの真骨頂です。

そして言葉の善行の最後は、サンパッパラーパ・ウィラーティ、離綺語(りきご)、意味のない会話は決してしないと決意する、という意味です。

これは、ゴシップ、うわさ話、最新ニュース、政治、経済、社会についての議論、その他、役に立たない話をしない、ということです。

うわさ話をしているとき、政治について議論しているとき、最新ニュースを見ているとき、私達の心の中はどうなっていますか?

新たな刺激への欲、物や人に対する欲、慢心、自我の肥大、怒り、嫉妬、不安、後悔、物惜しみ。

私達は、無益な会話を通じて、ありとあらゆる煩悩を、お互いに刺激し合い、増幅し合っているのです。

お釈迦様は、
ふさわしいときに語り、事実だけを語り、本当の意味を語り、ダンマを語り、規律を語り、心に残る、意図がはっきりわかる、節制ある、内容の伴った言葉を、ふさわしいときにだけ、語る者となりなさい。
と教えてくださっています。

これが、離綺語、意味の無い会話から離れる決意をする、ということです。

というわけで今回は、四摂法の第三番目、相手に対して、善なる心をもって、善なる行為を行いなさい、のうちの、言葉によって他人を決して傷つけないという四つの決意、についてお話致しました。

次回は、他人を傷つける行為や言葉を生み出す原因となるような、不善な思いを決して心に生じさせない、という三つの決意、これについてお話致しましょう。

以上
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