2015年11月30日月曜日

マハーカルナー禅師の原始仏教トーク-No.010-布施の極意Ⅰ~布施の心構え(podcastの音声から文字起こししたもの)

これはpodcastの音声を聴いて文字にしたものです。誤字脱字があるかもしれません。見つけ次第訂正したいと思います。


すでに同じ音声の文字起こしをなさっている他の方がいらっしゃるかもしれませんが、無常の世の中、自然災害、事故、等なんらかの理由で、音声や文字で伝える幾つかのサイトが一度に失われてもおかしくありません。


そのような状況下でも、残っているサイトがあれば、貴重な教えを残すことができると考えて、自分も文字にしたものを掲載します。


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布施はパーリ語でダーナと言います。

ダーナ、すなわち布施という行為は、たいへんな功徳を生む善行である、と誰もが知っています。

しかし私達は、布施をどのように、自らの生活に生かしていくか、知っているでしょうか?

布施というものについて、何かしっくりしない、もやもやとした、疑いのようなものを持っているのではありませんか?

裕福で、羽振りが良くて、その上で、他の困っている人々を救いたい、幸せになってもらいたい、というなら、布施は簡単にできるかもしれないけれど、今は、自分の生活さえ事欠くような状態で、余分な物もお金も無い。

だから、他の人に布施をする余裕など、まったく無いし、布施を実践するのは、現実的ではない。

と考える人も多いと思います。

なけなしの物やお金を布施してしまったら、自分で必要とする分が、まったく無くなってしまうではないか、と思うのも当然でしょう。

それでは、布施というのは、お金に余裕がある、一部の人達だけに許された特権なのでしょうか?

もし、そうでないなら、私達は布施をどのように実践していけば良いのでしょうか?

布施というものは、自分の置かれている立場や状況に応じて、誰でも実践できるものです。

また、そのようにやらなければなりません。

私達が布施をする上で、気をつけなくてはいけない第一のこと。

それは、布施をする前、布施の行為の最中(さなか)、そして布施した後の、心の状態を予測するということです。

そうすることによって、布施をするのに最も適した物や、布施をする適切な量を知ることができます。

自分ができる以上の物やお金を、無理して布施すれば、布施の行為の前、布施の行為の最中、布施した後で、必ず、不善な心が生起します。

本当はあげたくない、と物惜しみをしながら布施をすれば、やはり、布施を行う前、布施を行っている最中、布施を行った後に、不善な心が生じるでしょう。

例えば、あなたが一番大切にしている何か、クルマや、時計や、家具や、本や、何か、あなたが大好きで、いつも身近に置いていて、いつも使っていて、とても役立っていて、そして、あなたにとって、なくてはならないものを思い出してください。

もし、それを今日、誰かに布施するとしたら、あなたは、どのように感じるでしょうか?

きっと、明日も、明後日も、半年後も、一年後も、それを布施してしまったことを後悔する思いが、何度も何度も、よみがえってくるかもしれません。

もし、そんな不善な思いが生起するかもしれない、と思うなら、そういうものは、布施しないほうが良いのです。

布施をすることによって、あなたに喜びをもたらしてくれる、そんなものを、布施するべきでしょう。

布施には、基準はありません。

どういったものが適切か、どのくらいの金額が適切か、そういうものは、一切存在しません。

普通、皆さんこうだから、あるいは、このくらいが無難だから、という考えは必要ありません。

布施をするときに、ただ一つ考慮するべきこと、それは、その行為によって、あなたに善なる心が、最もたくさん生起するような、そういう布施をするということだけです。

それが、布施を行う際の唯一の、そして最も重要な基準です。

お金や物を布施しようと思ったときは、布施をする前に、「布施した後、自分の心がどうなるだろうか?」よく考えることが大切です。

多くの不善心が生起し、善なる心は、ほんの少しだけしか生起しないか。

多くの善なる心が生起し、不善心は、ほんの少しだけしか生起しないか。

布施をする前に、自分で、見極めるようにしましょう。

もし、善なる心よりも、不善心のほうが多く生起しそうだと感じたなら、より多くの善なる心を生起させてくれそうな、別のものを布施した方が良いかもしれません。

その行為によって、あなたに、善なる心が、最もたくさん生起するような、そういう布施をするということ、そのことだけを考えてください。

それが、布施を行う際の、唯一の、そして、最も重要な基準です。

自分の心に不善心が生じない範囲で心からの布施をする、というのが大きな功徳を生む、布施のコツなのです。

この道理を知らず、慢心や、虚栄心、見返りへの期待などに突き動かされ、自分のキャパスィティを超えた、大きな布施をする人達がいます。

そして結果的に、多くの不善心を生起させてしまいます。

あるいは逆に、物惜しみのあまり、何も、あるいは、ほとんど布施をしようとしない人達がいます。

彼らは、せっかくの善行のチャンスを棒に振り、物惜しみ、という不善心を生起させています。

どちらも賢くないやり方です。

あるいは、金額や価値の問題ではなく、布施をするということ自体に対して、大きな抵抗を持っている人達がいます。

あるいは、できるだけ布施をしないで済むように、どうしても布施をしなくてはならない場合は、できるだけ少なく済ませようという人達もいます。

彼らは、布施という行為を、誤って理解しているのです。

本当はあげたくはないけれど、乞食にお金を恵むように、嫌々施しをすることが布施ではありません。

おいしいケーキがあるとします。

あなたは、誰にも内緒で、それを独り占めして食べたいですか?

おいしいケーキは、一人で食べても、おいしくありません。

おいしいケーキだからこそ、あなたの大好きな人に、食べさせてあげたい。

その方が喜んで、おいしそうに食べている顔が見たい。

と、思うのではないですか?

ケーキは、あなたの大切な人と一緒に食べた方が、ずっとおいしいし、楽しいはずです。

それが布施です。

布施とは、分かち合う心です。

自分の手元にあるものを独り占めせず、分かち合おうと思う、その善なる心、それが、布施の心なのです。

分かち合う相手が、僧院や比丘である必要はありません。

大切なことは、どんなときでも、自分の持っているものを、人と分かち合う心を持ってください、ということなのです。

人間として生まれたということは、善なる心を持っている、ということです。

人間として生まれた以上、いつでも、分かち合う心を、忘れないようにしてください。

そして、どんどん大きく、美しく、育てていくようにしましょう。

最後にもうひとつ、布施を行うときのコツをお話ししましょう。

例えば、あなたが彼女に、何か彼女がとても喜ぶプレゼントをあげよう、と思い立ったとします。

彼女にプレゼントをする、というアイデアに思いをはせるだけで、あなたは喜びでいっぱいになり、とても幸せな気持ちになるでしょう。

彼女にプレゼントをあげる瞬間はどうですか?

そのときも、あなたの心は、喜びでいっぱいになるでしょう。

そして、彼女が、あなたのプレゼントをとても喜んでくれたら、あなたは、後々、いつもそのときのことを思い出しては、また喜びに浸り、とても幸せな気持ちになるでしょう。

布施をするときも、まったく同じです。

布施をやろうと決めたら、布施を行う直前まで、

「これから、お布施をするんだ。これから、波羅蜜を積むぞ。」

と、心を躍らせるのです。

そして、布施を行っている瞬間も、喜びに満ちた心で、布施を行ってください。

さらに、その布施の行為を、後で何回でも思い出しては、その喜びを追体験してください。

何度でも、何度でも、思い出せば出すほど良いのです。

追体験すればするほど良いのです。

一度の布施の行為で、何度も何度も、喜びを追体験する。

それが、布施をするときの、正しい心の使い方です。

正しく心を使いながら布施を行えば、布施の前、布施をしている最中、そして、布施を行った後、を通して、マッチャリヤ、と呼ばれる、物惜しみする煩悩や、ウパーダーナ、と呼ばれる、対象に執着する煩悩が、どんどん抑えられ、次第に鎮められていきます。

さらに、ネッカンマ、と呼ばれる、欲を離れる善なる徳や、メッター、カルナー、と呼ばれる、他の人々に対する、無条件の慈悲の心が育っていきます。

布施を、正しい心使いで、習慣的に行っていけば、煩悩はどんどん抑えられ、善なる心が、どんどん育っていきます。

そしてそれは、将来の、涅槃証悟(ねはんしょうご)という大きなゴールに達するための、礎(いしずえ)になっていきます。

以上
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