2015年11月25日水曜日

マハーカルナー禅師の原始仏教トーク-No.037-生きる技術と死ぬ技術~より善い転生を迎えるために~第一回-出家修行と在家修行(podcastの音声から文字起こししたもの)

(※ No.010の文字起こしは次回になります。)

これはpodcastの音声を聴いて文字にしたものです。誤字脱字があるかもしれません。見つけ次第訂正したいと思います。

すでに同じ音声の文字起こしをなさっている他の方がいらっしゃるかもしれませんが、無常の世の中、自然災害、事故、等なんらかの理由で、音声や文字で伝える幾つかのサイトが一度に失われてもおかしくありません。


そのような状況下でも、残っているサイトがあれば、貴重な教えを残すことができると考えて、自分も文字にしたものを掲載します。

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仏教の目的とは何でしょうか?

苦しみから自由になることです。

もう、苦しまないことです。

つまり、幸せになること、ですね。

揺るぎない幸せを手に入れること。

もし可能ならば、苦しみのない、永遠に続く幸せを実現すること。

それが、仏教です。

苦から完全に自由になり、揺るぎない幸せを手に入れること。

仏教の目的は、それだけです。

それ以外に、仏教の目的は、ありません。

在家であれ、出家であれ、目指す最終ゴールは、まったく同じです。

では、この最終ゴールに向かって、どのような道を歩んでいけば良いのでしょうか?

このゴールに至るためには、二つの道があります。

最初の道、それは、自分が今生きているこの人生で、まず、幸せになることです。

苦しみの少ない人生。

周りの人々を幸せにして、自らも幸せになる人生。

多くの喜びに溢れた人生。

自分の人生を、そんな人生に変えていくことを目指します。

さらに、この生存を超えて、より幸福な未来を実現すること、死後は、さらに幸(さち)の多い、さらに大きな喜びに溢れた世界に、転生(てんせい)していくことを、目指していきます。

これは、世俗における幸せ、すなわち、世間福(せけんふく)を目指した仏教修行と言われます。

二番目の道は、輪廻の存在そのものもまた苦である、と知って、輪廻そのものからの解脱を決意し、世俗を離れ、解脱を目指した、サマタ、ヴィパッサナーの修行に、一生を捧げる道です。

今生で目的に達することができなければ、次の転生(てんしょう)においても、修行を継続できるよう誓願し、どれだけ時間がかかろうが、何回生まれ変わろうが、輪廻からの完全解脱に至ることを決意し、修行を実践していきます。

これは、輪廻からの解脱、すなわち、出世間福(しゅつせけんふく)を目指した仏教修行、と言われます。

しかし実際には、この二つの道に、明確な違いはありません。

確かに、世間福を指向する修行者は在家の方々が多いし、出世間福を指向する修行者には、出家者が多いのは事実ですが、必ずしもそうでなければならない、ということではありません。

この二つの道の間に明確な境界線があるわけではありません。

二つを、別の修行である、あるいは、レベルの違う修行である、と考える必要もありません。

例えば皆さんが、仏法僧に三礼(さんらい)し、お経を読んで、お布施をし、与えられた戒律をしっかり守って、清く正しい生活を行っていく場合、きっと皆さんは、善行によって功徳を積んで、今生で幸せになりたい、と願うことでしょう。

そして、来世ではさらに幸せになりたい、と切望することでしょう。

また、その延長線上に、将来の解脱をも願うでしょう。

世間福を切望しながら、出世間福を同時に願うというのは、実に正しいことです。

決して間違ったことではありません。

むしろ、すべての仏教徒の方々は、善行をなすとき、世間福と出世間福の両方を誓願して欲しいと思います。

まず、

今この場で幸せになる。

そして、

それがそのまま解脱につながっていく。

と願ってください。

世間福を得て、そして、その延長上に出世間福を得る。

と誓願してください。

例えば、皆さんが運悪く骨折したらどうなるでしょうか?

まず何よりも先に、当座の激しい痛みを抑えなければなりません。

そのためには最初、強力な鎮痛剤による、救急治療と手術が必要となります。

そして、ペインクリニック治療を受けながら、骨を完全につなげるという、いわゆる根治のための治療を、時間をかけて行うことになるでしょう。

ちょうどそのように、幸せな人生を送りたい、そして輪廻そのものからも自由になりたい、と同時に願うのは、少しも矛盾するものではありません。

苦しみの生存から、幸せな生存へ、そして、生存そのものからの解脱へ、というプロセスは、グラデーション的に移行していくものです。

はい、ここまでが世間福を目指す修行、ここから先は、出世間福を目指す修行、と割り切れるものではありません。

出世間福を目指す修行とは、その人が、出家修行者の衣をまとっているかどうかで決まるものではありません。

世間福を目指す修行とは、現世利益を貪る、御利益信仰(ごりやくしんこう)ではありません。

世間福を目指す、とは、

お釈迦様のダンマに沿って生きる。

お釈迦様のダンマに忠実に生きる。

世俗の生活において、お釈迦様のダンマと矛盾しない生き方をする。

むしろ、ダンマを生かしながら、今この場所で幸せを得る。

ということです。

自分だけの幸せを貪らず、謙虚に、誠実に生きる。

まず、自分の周りの人々を気遣い、思いやって、みんなを幸せにしてさしあげる。

そして、そのことがまさに、自らの大きな幸せにつながっていく、という生き方をすることです。

五戒についての私の話を聞いた方々は、すでに理解しています。

五戒とは、一切の有情(うじょう)を、肉体的にも、精神的にも、決して傷つけない、という誓いであり、生き方です。

その生き方を実践することによって、受け取れないほどの世間福が、自然に、向こうからやってくるのです。

そういった、五戒に基づく善行を行いながら、将来の解脱をも切望してください。

そうすれば、それは波羅蜜として蓄積され、解脱修行を成就させる条件が、次第に整っていくでしょう。

生活環境、家族、職業、教育、育ち方、この人生で何を望んでいるか、過去世において、どのような生き方をしてきたか、それらは、ひとりひとり、皆違います。

ずっと幸せに生きてきた人も、過去に傷を負っている人もいます。

それらに、良い悪いはありません。

優劣もありません。

今の自分には良い条件が揃っていると思うならば、それを十二分に生かしていきましょう。

もし、悪い条件に苦しめられていると思うならば、そこにこそ、起死回生の大逆転のチャンスが潜んでいるかもしれません。

まだ若いうちに世俗を離れ、解脱を目指して修行に入る人達もいるでしょう。

中年期、人生の盛りの時期に、満を持して、出世間福を目指す修行に入る人達もいるでしょう。

あるいはまた、定年退職し、子育てを終えて、社会的責任をすべて果たした後、晴れやかな心で、いよいよ涅槃証悟(ねはんしょうご)を目指す修行に入る、という人達もいるでしょう。

そのどれもが、立派な修行です。

どれもが、特別の意味を持っています。

お釈迦様は、

本格的修行に入る時期に優劣は無い。

とおっしゃっておられます。

なぜなら、人によって、適切な時期が、皆異なるからです。

もちろん、今生においては世間福を得て、来世において解脱を目指す修行を行う、ということでも良いのです。

そこに優劣はありません。

急ぐ必要などありません。

涅槃を証悟すること、それだけが重要なのです。

お釈迦様は、ディーパンカラブッダの教化期?(きょうげき)に、授記(じゅき)を受けて、菩薩となられました。

その後、2600年前に、ゴータマブッダとして降臨されるまでに、それこそ数え切れないほどの輪廻転生(りんねてんしょう)を繰り返しながら、ブッダとなるための修行を続けてこられました。

その何億回、何兆回もの輪廻転生の中で、比丘として出家修行をされたのは、たった九回です。

この史実は、出家修行だけが高度な修行なのではないということ、むしろ、在家修行者としての修行の蓄積が、いかに重要か、ということを、はっきりと、私達に示してくれています。

比丘として、あるいはサヤレーとして出家することだけが、レベルの高い修行ではありません。

出家してからではできない、在家でなければできない、在家のうちに経験しておかなくてはならない修行、善行、がたくさんあります。

出家の機会というのは、機が熟したとき、自然に、必然的に訪れるものです。

昔から、

弟子の機が熟せば、師は自ずと現れる。

と言います。

弟子の機が熟し、出家修行が適切となれば、その条件は、自ずと揃っていくはずです。

在家の修行は、エベレストの頂上を目指しながら、できるだけ平坦なコースをとって、行けるところまで、徒歩で登山することに例えられます。

多少時間はかかっても、安全で確実な方法で、大きな成果を得ることができます。

出家というロッククライミングのような荒技は、本当に必要なときのために、取っておけばよいのです。

準備ができていないのに、裾野から頂上までロッククライミングで登ろうとするのは、時として、無謀です。

途中で転落して、登山どころではなくなってしまう危険性が、大いにあります。

もちろん、一度短期間の出家修行を経験してみる、ということは、とても良いことだと思います。

しかし、恒久的な出家を決意するときは、現実からの逃避、慢心や貪り、修行をあせる心などによる決断でないことを、十分チェックしてください。

自分の心に深く問いかけて欲しいのです。

クーサラの蓄積による必然から、圧倒的な菩提心から、自然に出家へと導かれていくのが、最も良いのです。

また、両親、それに、ダンマの師がいれば、その師の許可と祝福を得た上で、出家する必要があります。

それが、原始仏教の智慧であり、伝統です。

出家であろうと、在家であろうと、やるべきことをしっかりやる、そうすれば、必ず修行は大きく進みます。

仏教の目的はただひとつ、苦しみを滅し、幸せになることです。

まず、今置かれている立場で、ダンマに沿った生き方をして、幸せになってください。

そして、今置かれている立場で、ダンマの勝利を具現化してください。

職場で、家庭で、交友関係で、僧院で、ダンマに勝利を与えてください。

出家であろうと、在家であろうと、そうすることによって初めて、仏教修行を本当に前進させていくことができるのです。

以上
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