2015年12月31日木曜日

この上ない餞別-河口慧海著「チベット旅行記」から

講談社学術文庫 河口慧海著「チベット旅行記(上)」のP40~44より抜粋

百年前に、最も原書に近い大乗の仏教経典を求めて、当時厳重な鎖国体制にあったチベットに単身潜入した河口慧海の、究めて困難かつ危険な旅がなぜ無事に成功したのか?

師の深い信仰と強靱な意志、様々の状況を愉快がることのできる心の余裕と過酷な環境に対する身体精神の適応力、言語や風俗の学習に始まる綿密かつ周到な準備、その他あるでしょうが、幾度となく訪れた命の危険に際して最も大きく貢献したのは、まさに本人も書いておられる通り、出発前に積まれた功徳にあるのではないでしょうか。

以下、同書P40~の「第二回 出立前の功徳」より

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禁酒、禁煙の餞別
私は釈興然師に追い出されましたから東京に帰って来ましたが、到底日本に居ったところがチベットの事情はよく分からぬから、ぼつぼつインドの方へ出掛けて行くことにするのがよかろうという考えで、東京の友人及び信者等に別れに行きました。ところがその中には何か選別をしたいということでいろいろ尋ねがありましたから私は、まあ大酒家(おおざけのみ)には酒を飲まぬことを餞別にしてくれ、また煙草をのんで脳病を起すような先生には禁煙を餞別にして下さいと言って頼みました。そういう事を餞別にしてくれた人が四十名ばかりありました。その時から今日まで堅くその餞別を持(たも)って居られる人もありまた居られぬ人もあるようですが、とにかくこれらの餞別は確かに私にとっては善い餞別でございました。それから大阪へ帰り大阪でもまたそういう餞別を多分に貰いました。この中でも殊に私をして愉快に感ぜしめ、これが長途の旅行中私の命を救う原因になったかもしれぬと思われた有力の餞別が三つあります。東京で一つ大阪で一つ堺で一つです。

不殺生の餞別
東京であった事は本所の高部十七(たかべとな)というアスファルト製造の発明人ーー今でも生存して居るですがーー、この人は東京府下での網打(あみうち)の名人でこの人が網を打って廻った跡には魚が一尾(いっぴき)も居ないというほどの評判であった。それほど上手な位ですからまた非常にすきで少し位の病気は網打に行くと癒(なお)という。ちょうど私が出立の際、甚だ親しい信者であるからわざわざ尋ねて行ったところが何故か同氏は非常に憂えて居られた。どういう訳かと尋ねますと、何でも二歳(ふたつ)か三歳(みっつ)の子供がありましたがその可愛い盛りの愛児がこの間死んだので、私の妻はほとんど狂気のごとくに嘆き私も漁に出掛けても少しも面白くないという愁嘆話。そこで私は尋ねた。「あなたは子供を失うたのがそれほど悲しいが、もしあなたの愛児を縛りこれを殺してあるいは炙りあるいは煮て喰う者があった時分にはあなたはこれをどう思うか。」氏は答えて「そりゃ鬼です、人ではありません」という。
それから私は「そんならばあなたは魚類に対しては正しく鬼である。かの魚類といえども生命を愛(おし)むの情に至っては人間と同じ事である。もしあなたの失うた愛児を悲しむの情が真実であるならばなぜかの残忍なる網打を止さないか。もしこの業があなたの本職なればそりゃどうも生業のためにやむを得ん事もあろうけれどもただ娯楽の為にするのは実に無残、無慈悲の事ではないか。」とだんだん因果応報の真理を細かに説明して、ついに不殺生戒をもってわがチベット行の餞別にせよと勧告致しました。
始めはすこぶる難色がありまして「どうも困った、これを止してしまっては外に何にも楽しみがない」といって非常に困って居りましたが、だんだん私の熱心に説くところと、かつ私が命を捨ててもチベット行を決行しようという、餞別としてはこれが適当であると感じて、決然立って家の隅に懸けてあるところの大きな網を持ち来り私に与えて言いますには「あなたのお説に従い私は今より不殺生戒を堅く持ちます。この不殺生戒を堅く持つことをもってあなたのチベット行の餞別に致します。その証としてこの網をあなたに差し上げます。ついてはこの網はあなたが売ろうが棄てようがあなたの御随意でございます」。聞いて私は同氏のお娘御に火を起して貰って大きな火鉢の中へその網を入れて燃し掛けますとその傍に居る人々は皆驚いてしまったです。私はその網の燃え上る火を見まして「法界の衆生、他の生命を愛する菩提心を起し殺生的悪具をことごとく焼尽すに至らんことをこいねがう」と念じ、それからまた高部氏に向い「この網を焼いたところの火は足下の煩悩罪悪を焼き滅した智慧の光である。爾来この智慧の光を心として法界に生存せる衆生の生命を愛せらるるように」と説教致しました。

熱誠人を動かす
ところがその傍に同人の一族で小川勝太郎という人が居りました。この人もまた高部氏と同じく網打、銃猟(魚釣)をする人ですがその状態を見て非常に感じ、誓いを立てていうに「我不殺生をもってあなたのチベット行を送る。もしこの誓いを破らば不動明王それ我に死を賜え」と。その時には私はわが生命を救われたかのような喜びを生じたです。堺では私の竹馬の友である伊藤市郎氏、この方もよく慰みに網打に行かれたですが高部氏の話をして諫めたところが幸いに私の請(こい)を容れ網を焼いて餞別にしてくれた。大阪では安土町の渡辺市兵衛氏、この方は以前からなかなかの資産家で今は株式仲買業及び朝鮮で交易することを専門にして居りますが、以前は船場で泉清という名高い鶏商屋(かしわや)でありました。同氏は禅学熱心家で殊にそういう殺生な商売をしなくても充分生活の出来る人であるに拘わらず、依然として鶏商(かしわや)をやって居りますから東京からしばしば書面を送って諫め、また私がチベットへ行く時に諫めたところが「いかにも貴意を諒した。しかし今急に商売換えは出来ぬからおもむろに他の商売を見付けて必ず廃業するから」といって餞別にしてくれました。その約束通り私が出立してから一年有余の後にかの鶏商を断然廃業して今の商売に移られたのです。
これらの事は普通の人の考えから見れば余り過ぎたる行いなるかのごとく感ずるかも知れぬけれども、病気に対する薬はいつも普通の人に対しては過ぎたる薬を用うればこそ全快もするのです。普通の人に対し普通の教えを施す場合と重病人に対し良薬を施す場合とは違うということをよく知らなければならぬ。これらの不殺生の原因即ち毎日多くの魚族の命を殺すところの網を焼きあるいはその業を廃するに至らしめた功徳は、正しく私がヒマラヤの山中及びチベット高原においてしばしば死ぬような困難を救うたところの最大原因となったのではあるまいかと私は常に思うて居ったです。仏の護りは申すまでもない事ながらこの信実なる餞別が私のためにどれだけ益をしたか分からぬと思っていつも諸氏の厚い信心を感謝しました。.....以下省略......

※(ネット上を検索すると「チベット旅行記」の全文とおぼしきものがあります。書籍を入手できない方は、そちらをご覧ください。ここでは自分の善行になるとして、文章を手入力しました。)

以上