2015年12月10日木曜日

マハーカルナー禅師の原始仏教トーク-No.012-布施の極意Ⅲ~布施の大きな功徳(podcastの音声から文字起こししたもの)

これはpodcastの音声を聴いて文字にしたものです。誤字脱字があるかもしれません。見つけ次第訂正したいと思います。

すでに同じ音声の文字起こしをなさっている他の方がいらっしゃるかもしれませんが、無常の世の中、自然災害、事故、等なんらかの理由で、音声や文字で伝える幾つかのサイトが一度に失われてもおかしくありません。

そのような状況下でも、残っているサイトがあれば、貴重な教えを残すことができると考えて、自分も文字にしたものを掲載します。

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布施という行為は、布施をする人も、布施を受け取る人も、どちらも幸せにします。

ところで皆さんは、「他人に施しをすればするほど、自分の持ち物がどんどん減っていくのではないか?」という疑問を持ったことはありませんか?

布施という善行において、そういうことは絶対にありません。

私達は、それをはっきり知る必要があります。

実は、自分のものを他人と分かち合えば分かち合うほど、他の人に布施をすればするほど、福徳や智慧が大きく蓄積されていき、また、物質的にもどんどん豊かになっていくのです。

今生で、また来世で、経済的に豊かになりたいと思うならば、まず、布施を実践することを、毎日の習慣としましょう。

正しい心の使い方をもって、習慣的に布施を実践していけば、その功徳は、とても大きなものになっていきます。

そして近い将来、必ずや、すばらしい果報を得ることができるでしょう。

ですからそのためにも、私達は、物惜しみだけは自分の心ぐせとしないよう、万全の注意を払わなければなりません。

自分だけで独り占めする、人と分かち合うことはできるだけ避ける、という習慣がついてしまうと、今生で、そして来世において、貧困に苦しむ結果になりかねません。

私達は、人と分かち合う喜びを、いつも心に持って、布施の実践を、自分の第二の天性にまで育て上げていきましょう。

ところで、働いても働いても日々の生活に追われ、自らの暮らしを維持することすらままならず、他の人にお金や物を施す余裕など全く無い、という方もおられるかもしれません。

そんな場合は、どのようにしたら良いのでしょうか?

たとえそのような状態でも、布施という善行を行う方法は、いくらでもあるのです。

今回は、その中の四つの方法をご紹介しましょう。

まず、第一の方法。

どんな小さなものでも良いから、自分にできる範囲で、心からの布施を行ってください。

他の人の目を気にする必要はありません。

たとえアメ玉一つでも、心がこもっていれば、立派な善行です。

どんな些細な物でも、どんなに少ない金額でも、「他の人と分かち合いたい。」という喜びの心をもって布施を行えば、大きな功徳を積むことができます。

布施の量や金額に、大小も優劣もありません。

第二の方法。

自分が過去になした布施の行為、特に、喜びで満たされた心で行った布施の行為を、ありありと思い出してみてください。

そのとき、布施する物やお金を、相手にさしあげた瞬間の喜びを、はっきりと思い出してください。

善なる行為を追体験すれば、その時に生起した善なる心、クーサラチッタ、が再び生起します。

つまり、同じ善行を何度も繰り返して行うことと、同じ効果があるのです。

ですから、自分が過去においてすでになした善行は、どんなことでも、何度も何度も思い出して、同じ喜びにひたるようにしてください。

そうすることによって、善なる清らかな心、クーサラチッタ、はどんどん生起しやすくなっていきます。

第三の方法。

もし、あなたの知り合いが喜びに満ちた心で布施を行い、大きな功徳を積んだということを知っていたなら、その人が布施をなした瞬間に感じたであろう喜びの心を想像して、その喜びを、共に共有してください。

その喜びを、共に感じましょう。

その行為によって、その人が積んだ福徳、近い将来得るであろう善なる果報を、共に喜んでください。

これは、他者の積んだ功徳に随喜(ずいき)するということで、パーリ語では、パッターナモダナー、あるいは、アッブハーヌモダナー、と呼ばれます。

他の人によってすでになされた善行を思い、共に喜びを感じ、その行為を大いに賞賛する、というほどの意味になります。

これも、立派な布施の一つとして、教えられているものです。

第四の方法。

言葉や行動によって布施を行うこともできます。

和顔施(わがんせ)すなわち、相手に優しく微笑みかけること。

これも、立派な布施の行為です。

和語施(わごせ)、慈悲深い、暖かい言葉で相手に語りかけることですね。

普通は、和顔施和語施として、二つで一つとして示されることが多いと思います。

ご奉仕、これは、他の人が善行を行っている場合、その人のお手伝いをしてあげることです。

パーリ語では、ヴェイヤーワッチャ、と呼ばれています。

和顔施、和語施、ご奉仕、は心の面から言えば、ダーナ、すなわち分かち合う心、布施、であり、また同時に、言葉や行動の規範として見れば、スィーラ、言葉や行動による徳行(とくぎょう)の実践、でもあります。

さらにもうひとつ加えれば、ダンマを人に伝えること、他の人達とお釈迦様の教えを分かち合うこと、これもまた、素晴らしい布施の行為です。

パーリ語では、ダンマデサナー、と呼ばれているものです。

これも、分かち合うという面から見れば、布施に分類されますし、布施するもの、すなわちダンマという面から見れば、バーバナー、精神的修行、という種類の善行にもなるのです。

以上のように、たとえ物質的、経済的に何も分かち合うものがない場合でも、いくらでも布施を実践することはできるし、それによって、善業をどんどん蓄積していくことが可能だ、ということをご理解いただけたかと思います。

さてそれでは、布施を行うとき、どのようなことを心に念じながら、布施を実践していけば良いのでしょうか?

布施をするときの心の念じ方には、大きく分けて二つあります。

一つ目は、日常生活における自分の願いを心に念じながら布施を行う、という方法です。

普通、在家の仏教信者は、「私や家族が幸せになりますように。」とか、「私の願いがかないますように。」とか、「仕事がうまくいきますように。」などどいう、日常生活における自分の願いを心にこめて、お坊さんやサンガに布施を行います。

心からの願いをこめて、真心の布施を行うのです。

そして、それを継続的に続けていくのです。

現世のことばかりではありません。

例えば、「来世では、よりお金持ちの家に生まれますように。」とか、「来世では、天界に生まれますように。」「来世でも、私の夫とまた夫婦になれますように。」などという、来世に関するお願いでも良いのです。

このように、自分の願いを心から念じながら真心の布施を行えば、多くの場合、その願いはかなうでしょう。

そういう例は、枚挙にいとまがありません。

善行を伴った祈りの力は、とても強力です。

今生で、そして来世で、あなたの願いは、きっと実現することになるでしょう。

では、二つ目の方法はどんなものでしょうか?

涅槃を証悟するための徳、すなわち波羅蜜、パーラミー、を得るための心の使い方です。

よく巷(ちまた)で、「最高の布施は、何も見返りを求めずに行う布施である。」ということを耳にしますが、それは正確に言えば、お金や物の豊かさや、快い環境、好ましい結果など、世俗的見返りを何も求めないということで、まったく何も見返りを求めないということではありません。

最も良いのは、自分の煩悩を根絶するために布施をする、とはっきりと意識して布施を行うことです。

言い換えれば、「このわずかな布施が、自分の究極の目標である、涅槃を証悟する一助となりますように。」とはっきり意識して布施を行うのです。

このように意識すれば、そこに智慧が生起します。

智慧が生起した状態で布施を行えば、それは八正道(はっしょうどう)の正思惟(しょうしゆい)、サンマーサンカッパ、の実践となるのです。

なぜでしょうか?

正思惟とは、簡単に言えば、欲を離れることと、他人に対して、無条件の慈悲の心を持つ、ということです。

これは、それほど難しいことではありません。

正しい心づかいをもって布施を行えば、得られる心の状態です。

ところが厳密に言うと、正思惟は、必ず八正道の正見(しょうけん)をベースにしていなければなりません。

正見、サンマーディッティ、とは四聖諦(ししょうたい)すなわち苦集滅道(くじゅうめっとう)という、お釈迦様の悟りの根幹を見通す智慧を言います。

ですから、「このわずかな布施が、私の煩悩根絶の一助となりますように。このわずかな布施が、私の究極の目標である、涅槃を証悟する一助となりますように。」と、智慧をもって布施を行えば、正見に基づいて、正思惟を実践することになるのです。

これが、布施を行うときの心の使い方の極意です。

心にこのような思いを念じながら、真心からの布施を行えば、そしてそれを継続していけば、その布施から得られる波羅蜜は、計り知れないものとなるに違いありません。

(以上)
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