2015年12月21日月曜日

マハーカルナー禅師の原始仏教トーク-No.016-過去から現在へ、そして未来へ~涅槃証悟へと続く永遠のパートナー(podcastの音声から文字起こししたもの)

これはpodcastの音声を聴いて文字にしたものです。誤字脱字があるかもしれません。見つけ次第訂正したいと思います。

すでに同じ音声の文字起こしをなさっている他の方がいらっしゃるかもしれませんが、無常の世の中、自然災害、事故、等なんらかの理由で、音声や文字で伝える幾つかのサイトが一度に失われてもおかしくありません。

そのような状況下でも、残っているサイトがあれば、貴重な教えを残すことができると考えて、自分も文字にしたものを掲載します。

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前回、夫と妻の美しい関係、についてお話致しました。

今回は、輪廻を超えて共に生きる男女のパートナーシップ、についてお話ししましょう。

お釈迦様は、アングッタラニカーヤにおいて、夫には、中身の無い卑しい夫と、徳の高い神のような夫がいる、とおっしゃられました。

また妻にも、中身の無い卑しい妻と、徳の高い女神のような妻がいる、とおっしゃられました。

ですから、卑しい夫と卑しい妻、卑しい夫と女神のような妻、神のような夫と卑しい妻、神のような夫と女神のような妻、夫と妻の組み合わせは、以上の四通りあることになります。

もちろん、徳の高い神のような夫と、徳の高い女神のような妻の関係が、一番良いわけです。

アングッタラニカーヤの、巻の四の五十五に、サマジーヴィースッタ、というお経があります。

サマジーヴィーとは、ひとつとなって生きる、という意味です。

そのお経で、お釈迦様はおっしゃっておられます。

もし夫と妻が、ダンマに対して、同じように深い信を持ち、同じ戒を守って、共に、最高の徳行を実践し、同じように、広くて深い布施の心を持ち、同じように、正しくダンマを理解しているならば、二人は、この世で夫と妻であるばかりでなく、輪廻が続く限り、未来においても、ずっと夫と妻でいるだろう。
夫と妻が、ダンマに対して深い信を確立しており、広くて深い布施の心を持ち、自らを律することに秀逸であり、ダンマに基づいた正しい生活を送り、お互いに慈愛あふれる優しい言葉を語り合うならば、二人が受ける祝福には限りが無いだろう。
豊かで幸せな生活が、二人を待っているだろう。
このように、二人が高い福徳を持っているならば、不善な果報や不慮の災いは、彼らを苦しめることができないであろう。
もし、この二人が手を携えて、戒、定、慧のダンマを一心に修行するならば、死して後は、二人そろって、必ず天界に再生し、共に末永く、大きな喜びの生存を生きるであろう。
と。

夫婦は一緒に暮らしていますから、良きにつけ悪しきにつけ、同じような行為をなし、同じようなカンマを形成することが多いものです。

この世で特に深い縁を持つ夫と妻、というものは、今生で初めて巡り会ったのではなく、過去世から現在まで、夫と妻として、ずっと共に生きてきた場合が多いと言われています。

そんな、輪廻を超えた夫と妻の関係の中で、求道のパートナー、と呼ばれる究極の関係があります。

輪廻を超えて、手に手を携えて、涅槃証悟を目指して、共に歩んでゆくパートナーです。

パーリ語では、パーダパーリチャーリカー、と呼ばれています。

ただし、誰にでもパーダパーリチャーリカーがいるわけではありません。

このような関係は、例外的なものです。

しかし、高いレベルに達した多くの求道者には、ほとんどの場合、パーダパーリチャーリカーがいる、と言われています。

彼らは、計り知れない輪廻の生存を、ずっと、パーダパーリチャーリカーというパートナーと一緒に修行してきたのです。

涅槃証悟という究極の大目標に共に達するんだ、と二人で誓い合い、お互いに助け合いながら生きる、生まれては死に、死んでは生まれ、何度生まれ変わっても、その度に再会し、再び手を取り合って、共に修行を続けていく、そういう関係です。

涅槃証悟の道というのは、気の遠くなるほど長いものです。

いくつもの宇宙が誕生し、消滅していくほどの、長い長い間、涅槃を目指して、ずっと修行を続けていくのです。

そんな長い道のりを、たった一人で歩いていくことは、とてもできません。

お互いに助け合い励まし合う、球道のパートナー、パーダパーリチャーリカー、のサポートがあって初めて、涅槃という大きな目標に到達することができるのです。

すべてのブッダには、パーダパーリチャーリカーがいました。

そして未来のブッダにも必ず、パーダパーリチャーリカーがいるでしょう。

二十三代前のディーパンカラ・ブッダの時代、我々のブッダ、ゴータマ・ブッダは、スメダという名前の修行者でした。

あるときスメダ行者は、遠い将来必ずブッダになる、という確証、授記(じゅき)と言いますね、パーリ語ではビャーカラナと言いますが、その授記を、ディーパンカラ・ブッダから受けることができました。

これを受けると、正式に菩薩、すなわちボディサッタとなり、遠い将来、ブッダとして法輪を転ずることが、確定するのです。

スメダ行者は、ディーパンカラ・ブッダより、

おまえは、遠い将来、ゴータマという名のブッダとなって、ダンマの輪を地上に転ずるであろう。
という確約を受けたわけです。

そのとき、スメダ行者のパーダパーリチャーリカーは、スメダ行者の傍らにいました。

彼女は、スメダ行者が授記を受けたのを見て、自分のこととして大いに喜び、お香とお花を彼に捧げて、彼を祝福しました。

すると、スメダ行者は、後のゴータマ・ブッダですね、彼は、あろうことか、彼女の支援を拒絶したのです。

私は、これから森に住んで、一人で修行する。誰の助けも必要無い。
ディーパンカラ・ブッダは、その様子を見て、若いスメダ行者を諫めました。
スメダよ、お前一人でブッダになれると思ってはならない。

将来ブッダとなることを運命づけられたすべての修行者は、波羅蜜を完成させるために、気の遠くなるような時を超えて、果てしない修行を続けていかなければならない。

そのためには、どうしても、パーダパーリチャーリカーの助けが必要である。

お前たちはこれから、お互いに助け合いながら、法輪を転ずるための波羅蜜が満ちる、その時まで、長い長い修行の道のりを、共に歩んでいかなければならないのだ。
と、おっしゃいました。

それから二人は、ブッダとなるために必要な波羅蜜を完成させるため、手を取り合い、助け合いながら、数え切れない輪廻を超えて、共に修行を続けていったのです。

そのパーダパーリチャーリカーこそ、他の誰でもない、ヤソダラー王女だったのです。

ブッダが出家前、シッダールタ王子と呼ばれていたときの、彼のお妃です。

ブッダ成道後は、ブッダの下で出家して、比丘尼となられ、ラーフラマーターと呼ばれるようになりました。

二人は、幾つもの宇宙が誕生し、そして消滅していくほどの長い長い間、涅槃を目指してずっと修行を続けてきた、永遠のパートナーでした。

気の遠くなるような無数の輪廻の生存を超えて、涅槃証悟に至るための修行は、とても一人でできるものではありません。

お互い助け合い、励まし合う、求道のパートナー、パーダパーリチャーリカーが、どうしても必要なのですね。

以上
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