2015年12月24日木曜日

マハーカルナー禅師の原始仏教トーク-No.017-五戒~四悪趣に堕ちないための徳行の実践(podcastの音声から文字起こししたもの)

これはpodcastの音声を聴いて文字にしたものです。誤字脱字があるかもしれません。見つけ次第訂正したいと思います。

すでに同じ音声の文字起こしをなさっている他の方がいらっしゃるかもしれませんが、無常の世の中、自然災害、事故、等なんらかの理由で、音声や文字で伝える幾つかのサイトが一度に失われてもおかしくありません。

そのような状況下でも、残っているサイトがあれば、貴重な教えを残すことができると考えて、自分も文字にしたものを掲載します。

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仏教徒とは、何ですか?

仏教徒の定義は、何でしょうか?

仏教徒とは、仏法僧の三宝(さんぽう)に帰依しており、五戒をきちんと守っている人のことを言います。

どちらが欠けていても、その人を仏教徒とは言いません。

今回は、五戒についてお話をしましょう。

仏教には、様々な戒律があります。

五戒、梵行五戒(ぼんぎょうごかい)、活命八戒(かつみょうはちかい)、布薩(ふさつはちかい)、布薩九戒(ふさつきゅうかい)、十戒、せきや(?)七十五戒、比丘の二百二十七戒、比丘尼の三百十一戒など、挙げていけばきりがありません。

それら数多くの戒律の中で、たとえ在家であれ、出家であれ、比丘であれ、尼僧であれ、仏教の道を歩む者は誰であろうと、必ず守らなければならないものがあります。

それが五戒です。

五戒を、最も初歩的な戒律と理解してはいけません。

五戒とは、仏教で最も重要な根本戒律です。

五戒以上に重要な戒律は、存在しません。

たとえ他の戒律は、時に破ってしまうことがあったとしても、五戒だけは、絶対に守らなければなりません。

五戒は、それほど重要なものなのです。

なぜでしょうか?

五戒は、それを護持する者を守ってくれるからです。

五戒さえ、きちんと守っていれば、私達を不幸のどん底に落としてしまうような、重大な悪業を犯してしまうことは、絶対にありません。

つまり、五戒を護持するということは、十種の不善業道(ふぜんごうどう)、アクーサラカンマパタ、を犯さないということに他なりません。

十種の不善業道とは、次の生存において私達を、地獄界、畜生界、餓鬼界、修羅界、という、四つの不幸せな境涯、四悪趣(よんあくしゅ)、に再生させる不善なカンマを言います。

五戒を正しく護持していれば、これらの十種の不善なカンマを犯すことはありません。

五戒さえ、きちんと守っていれば、私達は、四悪趣と言われる不幸せな境涯に、再生することはありません。

五戒は、それを護持する者を、四悪趣への不幸せな再生から守り、スガティと呼ばれる人間界や欲天界などへの再生を約束する、すべての仏教徒にとっての無上の福音であり、誰もが従うべき、幸せへのロードマップです。

さて、次の生存において、私達を四悪趣に堕としめる、十種の不善業道、アクーサラカンマパタとは、どんなものでしょうか?

不善業道には、身体的行為によって作られる不善な業、言葉によって作られる不善な業、さらに、思いによって作られる不善な業、があります。

身体的行為によって作られる不善な業は、三つあります。
一、殺生(せっしょう)
人間だけではなく、生命ある、一切の生きとし生けるものの命を奪うことです。

パーリ語では、パーナーティパータ、と言います。
二、偸盗(ちゅうとう)
与えられていないものを盗む、ということですね。

パーリ語では、アディンナーダーナ、と言います。
三、邪淫(じゃいん)
これは、夫婦、恋人など、相互に認め合った関係があるにも関わらず、その外に、新たに不純な男女関係を持つことですね。

パーリ語では、カーメースミッチャーチャーラ、と言います。

これら三つの身体的行為は、深刻な悪業を形成する可能性があります。

これらの悪業により、私達は死後、四悪趣へ再生してしまう危険性があります。

ですから、これら三つの身体的行為は、絶対に避けなければなりません。

そして、これら三つの不善な身体的行為をしない、というルールこそ、五戒の最初の三つのルールなのです。

五戒の最初の三つとは、
一、パーナーティパーター・ウェーラマニ、離殺生(りせっしょう)
殺生を離れること。
二、アディンナーダーナー・ウェーラマニ、離偸盗(りちゅうとう)
盗みを離れること。
三、カーメースミッチャーチャーラー・ウェーラマニ、離邪淫(りじゃいん)
邪淫を離れること。

次は、言葉によって作られる不善な業についてです。

言葉による、アクーサラカンマパタ、不善業道、には四つあります。

まず、妄語(もうご)。

妄想の妄という字を書いて、妄語、嘘をつくことです。

パーリ語では、ムーサーワーダ、と言います。

次に、両舌(りょうぜつ)。

両方の舌と書いて両舌です。

これは、AさんとBさんに、異なることを話して、両者を仲違いさせることですね。

パーリ語では、ピスナワーチャ、と言います。

次は、悪口(あっこう)。

悪口(わるぐち)と書いて、あっこうと読みます。

これは、怒りを持って、荒々しい、人を傷つける言葉を話すことです。

パーリ語では、パルサーワーチャ、と言います。

そして最後に、綺語(きご)、綺麗(きれい)の綺と書いて、綺語。

これは、うわさ話など、意味のない無駄話のことを言います。

パーリ語では、サンパッパラーパ、と言います。

言葉によって作られる行為は、どれも、深刻な悪業を形成する可能性があります。

これら四つの悪業により、私達は死後、四悪趣へ再生してしまう危険性があります。

ですから、言葉による四つの不適切な行為は、絶対に避けなければなりません。

四つの言葉による過ちを犯さない、というルールは、五戒の中の四番目、離妄語、嘘をつかない、という項目にまとめられています。

すなわち、五戒の四番目の離妄語というルールには、嘘をつかないということだけではなく、両舌を使わないこと、悪口を口にしないこと、綺語を離れること、が同時に含まれているということを知らなければなりません。

五戒では、第四番として、ムーサーワーダ・ウェーラマニ、離妄語、嘘をつかないこと、としてまとめられています。

さて、以上のような、身体的行動による不善な行為、言葉による不善な行為、を犯してしまう場合、私達の心には、主として、三つの煩悩のいずれかが生起しています。

それらは、貪り、怒り、あるいは、自我や輪廻についての誤った見解、です。

これらの三つの煩悩が心に生起すると、たいていの場合は、心の中だけに止まらず、身体的行動や言葉と結びついてしまいます。

そして結果的に、重大な悪業を作ってしまうのです。

ですから、アクーサラカンマパタ、不善業道、では、これらの三つの煩悩を、四悪趣に再生させる、不善なカンマに加えます。

すなわち、貧欲(とんよく)。
つぶさには、他人の所有物を貪ること。
パーリ語では、アヴィッジャー、と言います。
そして二番目は、瞋恚(しんに)。
他人を傷つけようと思うこと。

パーリ語では、ヴャーパーダ、と言います。
そして三番目が、邪見(じゃけん)。
誤った見解のことですね。

特に、断見(だんけん)、を言います。

パーリ語では、ミッチャーディッティ、と言います。

以上の三つを、不善業道をつくる原因と考え、心に生ずる不善業道そのものと見るのです。

五戒では、行為そのものに含めてしまっていますから、特に別立てで列挙はしていません。

つまり、パーナーティパータ、殺生、他の生物の命を奪う、という行為には、その行為を犯すときに、必ず心に生じるであろう、怒りや邪見も含まれているというわけですね。

その代わり、五戒では、貧欲、怒り、誤った見解、という三つの心の煩悩を生じやすい、飲酒や、薬物の摂取の禁止、という項目を別に立てています。

五戒の第五番目の戒として、スラーメラーヤ・マッジャッパマーダッターナ・ウェーラマニー、離飲酒、お酒や薬物など、心を酩酊させるものを摂取しないこと、とあるのがこれです。

お釈迦様は、お酒を飲むことそのものが悪業だと、おっしゃっているのではありません。

普段は自らを制御できる人でも、お酒を飲むことで、あまりにも簡単に悪業を犯してしまう、という現実を踏まえて、仏道の道を歩む者は、飲酒そのものから離れなさい、と教えてくださっているのです。

以上が、私達を四悪趣への再生から守ってくれる、五戒の内容です。

もう一度、復習してみましょう。
一、パーナーティパーター・ウェーラマニ、離殺生
殺生を離れること。
二、アディンナーダーナー・ウェーラマニ、離偸盗
盗みを離れること。
三、カーメースミッチャーチャーラー・ウェーラマニ、離邪淫
邪淫を離れること。
四、ムーサーワーダー・ウェーラマニ、離妄語
嘘をつかないこと。
五、スラーメラーヤ・マッジャッパマーダッターナ・ウェーラマニ、離飲酒
お酒や薬物を摂取しないこと。

五戒は、仏教で最も大切なルールです。

仏教徒である以上、五戒は絶対に守らなければなりません。

私達は、ただ闇雲に、仏教では、これをやって良い、仏教では、これはやってはいけない、と、規則の表面的な文言に終始するのではなく、そのルールが作られた本当の意味をしっかり理解し、そのルールを守ることによって得られる大きな福徳を如実に知って、身をもって五戒を守っていきたいものですね。

以上
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