2016年1月24日日曜日

マハーカルナー禅師の原始仏教トーク-No.027-悪業が作られる瞬間Ⅱ-四悪趣に堕ちないために~言葉をつつしむこと(podcastの音声から文字起こししたもの)

これはpodcastの音声を聴いて文字にしたものです。誤字脱字があるかもしれません。見つけ次第訂正したいと思います。

すでに同じ音声の文字起こしをなさっている他の方がいらっしゃるかもしれませんが、無常の世の中、自然災害、事故、等なんらかの理由で、音声や文字で伝える幾つかのサイトが一度に失われてもおかしくありません。

そのような状況下でも、残っているサイトがあれば、貴重な教えを残すことができると考えて、自分も文字にしたものを掲載します。

---------------

前回は、カンマの成立には、行動や言葉で、具体的に外部へ働きかけようとする、自発的な意志と、その努力が大きなファクターになるというお話を致しました。

悪いカンマを形成するのは、行動や言葉を通して、肉体的にあるいは精神的に、他の生物を傷つけようとする意志と努力である、ということでしたね。

さて、他人を傷つけるのは、身体的な行動だけではありません。

時として、言葉は身体的行動以上に、人を傷つけます。

言葉に関する悪業は、四つに分類されます。
嘘をつくこと。
両舌を使うこと。
怒りをともなって語ること。
そして、
うわさ話をすることです。
ところで、一口に嘘と言っても、色々なケースがあるでしょう。

幼い子供や介護が必要なお年寄りなど、理性的に状況を判断する能力が限定的な相手の場合、緊急事態などに際しては、相手の生命を守るために、やむを得ず、嘘をつかなくてはならない場合もあるかもしれません。

その場合、実際と異なる内容を話したという事実は変わりませんが、話し手の行為が、悪いカンマを形成することはありません。

一方、もし、虚偽の内容を、意図的に世の中に公表することにより、相手の名誉や社会的立場を、著しく害するようなことがあれば、それは、大変な悪業を形成することになります。

言葉による悪業の場合は、意志と努力に加えて、その目的が、大きなファクターになります。
何のために嘘をつくのか。
何のために両舌を使うのか。
ということが重要になるわけです。

例えば、虚偽の言葉を語る、あるいは、虚偽の文章を書く、あるいは、両舌を語る、書くという行為の目的が、他の人に、精神的、物質的に不当な損害を与えるため、または自分自身に、社会的、物質的に、本来は値しない利益をもたらすためである。

という場合は、非常に悪質な嘘や両舌となります。

邪悪な目的のために嘘をつくことを意図し、あるいは、両舌を使うことを意図し、そのための環境を、作為的に用意し、実際に嘘をつき、あるいは、両舌を使えば、非常に重篤な悪業を形成することになります。

悪口、すなわち、怒りの心をもって激しい言葉を使う、あるいは、荒い口調で語る、という場合はどうでしょうか?

その場合も、相手を傷つけることが目的であれば、悪質な行為であり、悪いカンマを形成することになります。

しかし例えば、火事や津波などの災害時、自分の家からテコでも動かない、という人を救うために、普段使わないような荒々しい言葉で、大声で怒鳴るということが、状況によっては、必要になるかもしれません。

そのような場合は、荒々しい言葉を使って、大声で怒鳴ったという事実は変わりませんが、人助けのために、やむなく行ったわけですから、いかなる悪業も形成しません。

激しい言葉を使うということ自体は、単なる物理的現象に過ぎません。

どのような意図でそれが行われたかが、問題となるわけです。

さて、言葉について、私達が特に気をつけなくてはならないのは、他人に関するうわさ話です。

自分の知り合いについてのうわさはもちろんのこと、政治家の批判であれ、芸能人のゴシップであれ、テレビで見た最近のニュースであれ、私達が他の人についてのうわさ話をする場合、本人の耳には入らない、という前提で話していますから、話題の人を傷つけることにはならないだろう、と高をくくりながら、実は、ひどく本人を傷つけるような内容を話しています。

その人の耳に入らないだろうから、というのは、その人を傷つける意志がないということにはなりません。

傷つける意志がなければ、そもそもそういう話はしません。

もし万が一その話が、人の口から口へと伝わっていき、本人の耳に届いたらどうでしょうか?

あなたが、たとえやんわりとしたニュアンスで話したとしても、うわさが人に伝わるときは、非常に悪意あるものとして伝わっていくものです。

特に、自分の直接の知り合いでない、他人についてのうわさ話の場合、人は、とても残酷になります。

インターネット上での匿名の発言が、どんなにひどいものかについて、耳にすることも多いのではないでしょうか?

そういう匿名の、心ない、残酷な発言の集積によって、私達は、他人を社会的に葬ったり、自殺に追い込んだりするのです。

そして多くの場合、あなたは、その悪業を犯したことすら気づかないのです。

うわさ話の怖さは、私達自身、他人を傷つける残酷な行為を行いながら、他人を傷つけていることに気づかないこと、そして、その悪業が重大な結果をもたらしたとしても、それにすら、気づかないことが多いということです。

結論としては、もしあなたが仏教徒を自認するのなら、人のうわさ話は、一切するべきではありません。

自分の知り合いについてだけでなく、政治家の話も、芸能人の話も、最近のニュースで聞いたゴシップも、一切、話すべきではありません。

もし、どうしても話したいなら、その場に本人がいて、あなたの話を聞いても、決してその本人を傷つけないという内容だけを話すべきです。

良いことを話せないのなら、その話題については、口をつぐんでください。

自分が人からしてもらいたい、まさにその行為のみを、人に対して為せ、というのは、宗教を超えた真理です。

言葉によって他人を傷つけない、ということを、深く心に誓い、実践していけば、次第にあなたも、言葉によるトラブルに悩まされることは、無くなっていくでしょう。

社会に生きていく以上、私達仏教徒は、注意の上にも注意を払い、十分すぎるほどの気づきをもって、言葉に関する清浄(しょうじょう)な行為を実践していきましょう。

言葉に関する災いを、私達の周りから一掃していきましょう。

以上
------------------