2016年1月27日水曜日

マハーカルナー禅師の原始仏教トーク-No.028-悪業が作られる瞬間Ⅲ-四悪趣に堕ちないために~決して他の生命を傷つけないと決意する~(podcastの音声から文字起こししたもの)

これはpodcastの音声を聴いて文字にしたものです。誤字脱字があるかもしれません。見つけ次第訂正したいと思います。

すでに同じ音声の文字起こしをなさっている他の方がいらっしゃるかもしれませんが、無常の世の中、自然災害、事故、等なんらかの理由で、音声や文字で伝える幾つかのサイトが一度に失われてもおかしくありません。

そのような状況下でも、残っているサイトがあれば、貴重な教えを残すことができると考えて、自分も文字にしたものを掲載します。

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前回、前々回と、精神的にあるいは肉体的に、他の生命を傷つけようとする意志と努力が、悪いカンマを形成する最大のファクターであることを、お話ししてきました。

悪業が、身体的行動によって形成されるか、言葉によって形成されるか、に関わらず、悪業の根本的な原因は、すべて私達の心にあります。

もちろん悪業だけでなく、善業もすべて心によって作られます。

私達は、できるだけ悪業を形成しないように、できるだけ多くの善業を形成するように、心をしっかりコントロールしていかなければなりません。

諸悪莫作、衆善奉行、諸々の悪を為すことなく、諸々の善を行いなさい。

まさに、仏教の根本の教えです。

さて、あなたの心に、他人を傷つけたい、という思いが生じたとしましょう。

もし、あなたがその思いを、言葉によって一切表現せず、身体的行動によっても、一切表現しなかったなら、どうなるでしょうか?

あなたのその不適切な思いは、外に対して、いかなる働きかけを行うこともできない、ということになりますね。

その場合は、他人を傷つけたいという思いはあるものの、実際に他人を傷つけることはできないわけですから、結果的にはあなたは、重大な悪業を形成することはできません。

逆に、あなたの心に、他人を傷つけたいという思いが生じた時、もし、あなたがその思いを、言葉を通じて外部に表現したらどうなるでしょうか?

あるいはもし、その思いを、身体的行動によって外部に働きかけたら、どうなるでしょうか?

その時あなたは、言葉を通じて、あるいは行動を通じて、重大な悪業を形成することになります。

場合によっては、あなたは死後、その悪業のゆえに、地獄界、畜生界、餓鬼界、修羅界、という四悪趣に再生してしまう危険性すらあります。

さて、他人を傷つけようとする思いとは、なんでしょうか?

他人を傷つけようとする思いは、大きく分けて二種類に分類されます。

まず、相手が持っているものを手に入れたい、と思うこと。

これは、ロワ、すなわち貪りの心によって起こる、不善な思いですね。

そして二番目は、相手を攻撃しよう、精神的に、あるいは肉体的に、傷つけようと思うこと。

これは、ドッサ、すなわち怒りの心によって起こる、不善な思いです。

実際には、多くの場合、この二つの心は、入れ替わり立ち替わり生起します。

人のバッグを奪い取ろうとする場合、まずそのバッグと、そこに入っているであろう、お金や貴重品に対する貪りが生じます。

そして、実際にその人に近づいて、力ずくでバッグを奪い取るわけですが、その時は、貪りよりも、相手を攻撃しようとするドッサの思いが強く出ているはずです。

殺人などの場合は、どうでしょうか?

殺害する行為そのものは、相手を傷つけようとする、ドッサの思いが中心となってなされますが、相手を殺害することによって、物質的精神的利益が得られる場合は、それらの利益に対して、貪りの心が生じる瞬間が、殺害行為の前と後ろにちりばめられているはずです。

そして、これら二つの思いはどちらも、善い行為をすれば必ず安楽で快い結果が得られ、悪い行為をすれば必ず苦しく不快な結果が訪れる、という業と業果の法則に対する無知あるいは軽視から生じるわけです。

ですから、十の悪業道(あくごうどう)では、他人の所有物に対する貪り、他人を傷つけようとする悪意、そしてそれに加えて、業と業果に対する誤った見解、この三つが、心の不善として挙げられているのです。

本当は、他人を傷つけたいなどと思わないほうが良いのです。

もちろん私達は完璧ではありませんから、場合によっては、そういう思いが、心に生起してしまうこともあるかもしれません。

しかし、万が一そう思ってしまっても、言葉や行動によって、その思いを一切外部に表現しなければ、死後、四悪趣への再生につながるような、重大な悪業を形成することはありません。

怒りや、不安や、不快感や、嫉妬が、たとえ心に湧き上がってきても、その思いを、表情や、声のトーンや、ちょっとした仕草や、ちょっとした言葉遣いにすら、絶対に表さない、絶対にドアをバタンと閉めない、ということをしっかり気をつけてください。

それができれば、ドッサはあなたの内側だけにとどまり、大きなカンマを形成することはありません。

もし、あなたがその思いを外に表せば、相手との間に、怒りの悪循環が生じ、怒りは瞬く間に大きくふくれ上がり、あなたも、相手も、想像を絶する悪業を形成してしまう危険性があるのです。

ですから私達は、他人のものを欲しいと貪る思いや、他人を傷つけたいという思いが、たとえ心に生じたとしても、それを絶対に外に表さないように、心を配らなくてはなりません。

本当は、他人を傷つけたいなどと、思わない方が良いのです。

本当は、他の生命を絶対に傷つけない、と心に強く決意するべきなのです。

それでこそ、真の仏教徒である、と言えるのです。

どうですか?

今、この瞬間に、共に決意しようではありませんか。

これから私達は、決して他人のものを欲しいと貪らないと。

どんな場合でも、絶対に他の生命を傷つけないと。

そうすれば私達は、想像することもできないほどの、無上のダンマの祝福を頂くことができるのです。


以上
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