2016年2月3日水曜日

マハーカルナー禅師の原始仏教トーク-No.029-戒清浄~禅定に到る最高の徳行の実践~(podcastの音声から文字起こししたもの)

これはpodcastの音声を聴いて文字にしたものです。誤字脱字があるかもしれません。見つけ次第訂正したいと思います。

すでに同じ音声の文字起こしをなさっている他の方がいらっしゃるかもしれませんが、無常の世の中、自然災害、事故、等なんらかの理由で、音声や文字で伝える幾つかのサイトが一度に失われてもおかしくありません。

そのような状況下でも、残っているサイトがあれば、貴重な教えを残すことができると考えて、自分も文字にしたものを掲載します。

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原始仏教では、瞑想修行をしようと決心してから、実際に涅槃に到るまでの修行階梯を、七つの段階に分けて、そのひとつひとつについて、詳しく解説をしていきます。

七つの階梯を順番に清らかにしていくということで、これは七清浄(ななしょうじょう)と言われています。

七清浄の第一の階梯は、戒清浄(かいしょうじょう)、禅定の基礎となる戒を守る、行動と言葉と心を、清らかにするという修行です。

第二の階梯は、心清浄(しんしょうじょう)、心を清らかにし、禅定を得る修行です。

さらに、第三の階梯、第四の階梯と、次々と進んでいき、第七の階梯に到って、涅槃を証悟し、修行が完成するわけです。

というわけで今回は、七清浄の第一番目、戒清浄についてお話致しましょう。

仏教の修行は、戒清浄から始まります。

行動と言葉と心を清らかにするという修行です。

戒清浄は、四つの部分から構成されています。

まず、一番目、三番目、四番目によって、戒清浄の基盤を作り、その上で二番目を実践して、戒清浄を完成させるという構造になっています。

ですからまず、一番目、三番目、四番目についてお話しし、その後に二番目について解説することに致しましょう。

戒清浄の一番目、これは、自分が受戒して守っている戒律を、誤りなく守るという修行です。

例えば、在家の修行者であれば、五戒を守る、あるいは、ウポーサタの日には、八戒を守る、ということですね。

次は三番目、これは八正道の中の正命(しょうみょう)です。

在家の方々の場合は、正しい職業に従事しなさい、ということを意味します。

正しい職業とは、他の生命を傷つけない職業、五戒を破ることなくできる職業ということです。

お釈迦様は、在家の修行者の方々に、五つの職業を離れなさい、と具体的に説かれました。

すなわち、武器の売買、人身売買、動物の屠殺および肉の売買、酒類の売買、毒物の売買、の五つです。

その他の職業であっても、職務上、五戒を守ることができないような職業には、就くべきではないというのがお釈迦様の立場です。

戒清浄の四番目は何でしょうか?

在家の方々の場合は、着る物、食べる物、住む場所、薬、その他、身の回りの生活必需品について、その本来の目的をよく理解し、今、自分に与えられているものに満足し、多くを望まないこと。

たとえ、欲しいという気持ちが生じても、どうしても必要なもの以外は、我慢すること。

つまり、小欲知足(しょうよくちそく)を実践しなさいということです。

小欲知足の精神で、シンプルで、クリーンな生活をおくりなさいということになります。

以上、戒清浄の一番目、三番目、四番目によって、私達は、身体的な行為や言葉を制御できるようになり、正しい職業に従事し、小欲知足による、シンプルでクリーンなライフスタイルを実現することができるのです。

さて、戒とは通常、行動と言葉のコントロールを意味します。

四悪趣の再生につながるような、重大な悪業の形成を、最小限に食い止めるために、身体的行為と言葉を制御する、というのが戒の一番大切な役割です。

戒清浄の一番目、三番目、四番目の三つは、まさに、それをやっているわけです。

ところで、戒清浄の二番目は、行動や言葉ではなく、心のコントロールを、その目的としています。

これは、根律儀戒(こんりちぎかい)、根っこの根に、法律の律、儀式の儀、そして戒律の戒、と書いて、根律儀戒という名前が付いています。

普通私達は、日本語訳を使わず、パーリ語で、インドリヤサンバラスィーラと呼んでいます。

なぜ、戒清浄で、心の制御が必要になるのでしょうか?

本格的に心を清らかにするのは、戒清浄の次の階梯、すなわち、心清浄で行われますが、心清浄の段階に進む前提条件として、どうしても、インドリヤサンバラスィーラによる心の制御が必要となるからです。

心清浄とはすなわち、禅定を得ること、ジャーナに入定することです。

昔から、戒無くして禅定無し、戒が成就して初めて定が得られる、と言われています。

しかし、この戒から定への移行を、五戒や八戒をきちんと守れば、禅定が得られる、と単純に解釈してはいけません。

戒が完成して初めて定が得られる。

これが本当に意味していることは、まず、行動と言葉の制御により、四悪趣に堕ちるような悪業を形成する危険を離れ、次に、インドリヤサンバラスィーラによって、心をコントロールできるよう修行する。

そうすれば、心清浄すなわち禅定が得られるぞ、ということなのです。

では、インドリヤサンバラスィーラとは、どのように修行するのでしょうか?

私達の六門すなわち、目、耳、鼻、舌、体、心に、内外の様々な現象が現れると、私達の心は刺激を求めて、パッとその対象に飛びついてしまう傾向があります。

しかし心を清浄にするためには、心を完全に制御しなくてはなりません。

心を制御するとは、たとえば心が今、瞑想の対象に専注しようとしているならば、それ以外のどのような対象が六門に現れようと、一切まどわされず、瞑想の対象に専注し続けるということです。

これが完全にできるようになれば、心が清浄になる、すなわち心清浄が完成するということになるわけです。

禅定に入っている、という状態です。

たとえば、ある人が、心を、ある瞑想の対象に専注させようとしているとしましょう。

いくらその対象に心を専注させようとしても、音や、臭いや、足の痛みや、雑念、思考、といった様々な刺激対象は、六門に現れては消え、消えては現れ続けますから、なかなか心を平安に保つことはできません。

しかし、禅定を完成するためには、たとえ、他のどのような対象が現れても、たとえそれが、どれほど刺激的なものであっても、心をしっかり瞑想の対象に結びつけて、そこから決して離れないようにしなくてはなりません。

ラベリングをしたり、あるいは、サラリサラリと、その刺激的対象を払いのけて、心を瞑想の対象に留め、専注させるのです。

これが、インドリヤサンバラスィーラです。

インドリヤサンバラスィーラによって、心は、瞑想の対象に、いつも専注することができるようになります。

これが、心を制御するということです。

これが、心が清らかであるという状態です。

すなわち、心清浄です。

このようにして心は、禅定という深い境地に入っていくことができるわけです。

以上
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