2016年2月9日火曜日

マハーカルナー禅師の原始仏教トーク-No.032-Dukkha-2~十三種の苦 第1回~(podcastの音声から文字起こししたもの)

これはpodcastの音声を聴いて文字にしたものです。誤字脱字があるかもしれません。見つけ次第訂正したいと思います。

すでに同じ音声の文字起こしをなさっている他の方がいらっしゃるかもしれませんが、無常の世の中、自然災害、事故、等なんらかの理由で、音声や文字で伝える幾つかのサイトが一度に失われてもおかしくありません。

そのような状況下でも、残っているサイトがあれば、貴重な教えを残すことができると考えて、自分も文字にしたものを掲載します。

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四苦八苦という言葉があります。

これは、生老病死という四つの苦に、愛別離苦(あいべつりく)、怨憎会苦(おんぞうえく)、求不得苦(ぐふとくく)、五陰盛苦(ごおんじょうく)という四つの苦を加え、4足す4で8になるということですね。

四苦と八苦だから十二の苦になる、ということではありません。

お経では、よくこういう数え方をします。

四聖諦(ししょうたい)、四つの聖なる真理、すなわち苦(く)、集(じゅう)、滅(めつ)、道(どう)というものがありますね。

そもそも四苦八苦とは、この四聖諦の中の、苦の真理についてお釈迦様がお説きになられた内容から導き出されました。

お釈迦様は、
苦には十三種類ある。
とお説きになられました。

十三種類の苦とは何でしょうか?

まず最初は、生老病死の四つの苦です。

生まれること、老いること、病気になること、死ぬこと、これらの四つの苦です。

生まれることが、なぜ苦なのでしょうか?

実は、これが一番理解が難しいものです。

生まれるという苦は、仏教の根幹、仏教の根本の目的に関わる大問題なのです。

苦について勉強し、苦の本質をある程度理解しなければ、お釈迦様がここでお説きになっておられる真意を知ることはできないかもしれません。

ですから皆さんは、苦の勉強を一通り終えた上で、生まれるという苦に戻って、もう一度それについて、よく考察してみる必要があると思います。

今ここでは、簡単に二つの面からお話し致しましょう。

まず、前回の三種類の苦の講義でもお話ししましたが、苦には、生存それ自体に内在している苦、生きている限り絶対に逃れることのできない苦というものがあります。

行苦(ぎょうく)、サンカーラドゥッカ、と言いましたね。

生まれるということは、その行苦が、すべて再び現実化していくということになるわけです。

さらに、様々な肉体の苦、心の苦というものも、生まれるからこそ再び現実となっていく。

ですからお釈迦様は、
生まれるということは、苦の直接原因である。
という風に、お説きになったのですね。

さらにもうひとつ、仏教では、
生命を持つ有情の誕生の仕方には四つある。
と言われますが、人間や哺乳動物は、受胎から誕生まで母の体内にとどまり、ある程度成長してから、母の体の外に出る、すなわち出産し、誕生するわけです。

人間の赤ちゃんの場合、母の体内にいる四十週余り、どのような心の状態にあるのでしょうか?

お腹の中の赤ちゃんは、誕生すること、生存することに対しては、無意識ながら強い執着を持っていますが、自分の置かれた物理的環境に対しては、もやもやとした不快感を、ずっと感じています。

また、実際の出産にあたっては、筆舌に尽くしがたいほどの肉体的苦痛を受け、もがき苦しみ、泣き叫ぶわけです。

受胎から出産までの過程における、母の体内での、自分自身の経験は、将来ヴィパッサナーの修行を行う段階になると、はっきりと記憶によみがえってくることになります。

人間として生まれるということは、非常に激しい肉体的苦痛を伴うものであるということです。

ですから、生まれることは苦であるという教えの中には、その意味合いも含まれているかもしれません。

生まれる苦の次は、老いていくことの苦ですね。

仏教的に言えば、生物無生物に関わらず、すべてのものは、火界(かかい)---火(ひ)ですね---火界を含み、それによって成長、成熟していきます。

老いと、成長、成熟は同じものです。

老いとは、年齢的盛りを過ぎることや、物忘れが激しくなること、肉体的に老化することだけではありません。

無常のもの、限りあるもの、終わりあるものすべては、生起したその瞬間から時々刻々、その終着点に近づいていきます。

それが、老いの苦です。

赤ちゃんの場合も、生まれた瞬間、老いが始まります。

成長し、成熟し、老いてゆく、そのすべてが老いなのです。

永遠に存在している何かがあれば別ですが、そうでないものには、必ず終わりがあります。

終わりの瞬間に、一瞬一瞬近づいていくこと、それが、老いの苦なのです。

老いていくという苦は、終わりに近づいていくという苦に他なりません。

肉体の老化は、その苦を倍増させますが、それだけが、老いの苦なのではありません。

結局、老いの苦とは、無常なるものすべてに内在している苦、諸行無常の苦、に他なりません。

生老病死の三番目は、病の苦ですね。

さて、生まれること、老いること、死ぬこと、の三つは、どんな生命でも、絶対に避けることのできないものですが、病については、人それぞれです。

病むことから生じる苦が、人生の最大の苦となっている人達もいれば、ほとんど、そのような苦を経験しないですんでしまう人達もいます。

実は、病の苦の本質は、後で出てくる他のタイプの苦、つぶさには、肉体で感じる苦痛と心で感じる苦、なのです。

仏教を勉強する人が、よりたやすく理解できるようにと、お釈迦様が、病に当てはめてお説きになってくださったものです。

ですから、お釈迦様のお経で最も権威あるひとつである大念処経(だいねんじょきょう)では、この箇所は、生老病死の四つの苦ではなく、生老死の三つの苦で解説されています。

生老病死という日本語は非常に有名になっていますが、実際には、お釈迦様は、むしろ生老死という三つの苦でお説きになったことの方がずっと多いということを、ひと言付け加えておきます。

どんな生命でも絶対に逃れることのできない行苦という観点から見れば、生老病死の四つの苦で見るより、生老死の三つの苦で見る方が、深みのあるダンマと言えるかもしれません。

ということで、病の苦については、もう一度別の箇所で触れることに致します。

生老病死の最後は、死ぬことの苦です。

ここで注意して頂きたいのは、重い病で長いこと苦しんだ末に死ぬ、交通事故に遭って死ぬ、銃で撃たれて死ぬ、と言った場合、死の直前の瞬間までの肉体的痛みや心の苦しみは、死ぬことの苦しみには入らないということです。

これらは、肉体的痛みや心の苦しみという、別の種類の苦に属します。

なぜなら、これらの苦しみの体験が、必ず死につながっていくとは限りませんし、死ぬ瞬間までは、死は存在していないわけですから、それは死ぬ苦しみではなくて、生きているからこその苦しみなのです。

実は死ぬ瞬間には、一切の肉体的痛みも心の痛みもありません。

死の瞬間には、いかなる苦しみも無いのです。

しかしお釈迦様は、
一切の生きとし生ける衆生は、常に死を恐れている。
とお説きになりました。

死ぬことの苦とは、実は、死を恐れる苦なのですね。

どういうことでしょうか?

もちろん私達は、自分の死を恐れますが、それ以上に、自分の家族、親しい人、愛する人、友人などの死も恐れます。

また、誰の死であれ、動物の死であれ、虫の死であれ、死そのものを全般に恐れるのです。

死は、前触れもなく突然やってきて、有無を言わさず、死に臨む人から、冷酷に、無慈悲にすべてを奪い去っていきます。

死ぬ瞬間には、生きている間に執着していた一切のもの、すなわち、自らの肉体、家族や愛する人達、友人、同僚、社会、自分の所有物、財産、地位、名誉など、すべてを放棄し、永遠の別れを告げなくてはなりません。

これは、とても耐えられない恐ろしいことだ、と感じるのは無理もないことです。

さらに、死んだ後どうなるかまったくわからない、という未知への恐怖がそれに加わります。

またさらに、一切のものは、はかなく過ぎ去っていくという無情の思い。

それは、元気で生きている間、できるだけ考えないように、できるだけ感じないようにと、傍らに押しやってきたものですが、自分の死であれ、家族の死であれ、ペットの死であれ、あるいは、他の誰かの死であれ、死に臨めば、その無情の思いが、まるで暴力的とも言える圧倒的な力で、あなたの心と身体を貫いていくのです。

仏教を知らない一般の人々にとって、これはまさに地獄の底を見るような、震え上がるような体験です。

このような、やり場の無い恐怖は、死の瞬間が近づけば近づくほど、どんどん大きくなっていきます。

これが、お釈迦様のおっしゃる、死ぬことの苦です。

正確には、死に対する恐怖、という苦です。

ですからこれはすべて、心に感じる苦ということになります。

すべてが常住で永遠に続いていくという誤った見解、あるいは、そうでないことは頭ではわかっているけれど、永遠に続いていって欲しいと思って、故意に持ち続けてきた愚かな願望が、崩れ去るのです。

死によって、幻想は崩れ去ります。

その恐怖なのです。

以上、今回は、十三種類の苦から、最も大切な生老病死、生まれる苦、老いる苦、病の苦、死の苦、についてお話し致しました。

病の苦を除いて、私達の生存それ自体に内在している、逃れることのできない苦ですね。

しっかり頭に入れておいてください。

次回も引き続いて、十三種類の苦についてのお話を続けてまいります。

どうぞ、楽しみにしていてください。

以上
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