2016年2月22日月曜日

マハーカルナー禅師の原始仏教トーク-No.035-Dukkha-5~七種の苦 第1回~(podcastの音声から文字起こししたもの)

これはpodcastの音声を聴いて文字にしたものです。誤字脱字があるかもしれません。見つけ次第訂正したいと思います。

すでに同じ音声の文字起こしをなさっている他の方がいらっしゃるかもしれませんが、無常の世の中、自然災害、事故、等なんらかの理由で、音声や文字で伝える幾つかのサイトが一度に失われてもおかしくありません。

そのような状況下でも、残っているサイトがあれば、貴重な教えを残すことができると考えて、自分も文字にしたものを掲載します。

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前回まで、ドゥッカ、苦、の代表的な分類法である、十三種類の苦、を解説致しました。

今回から、苦の本質をより深く洞察することができる、七種類の苦、を勉強致しましょう。

七種類の苦とは、2+2+2の三つのグループ+1の合計七種類からできています。

まず第一のグループ、これは、隠蔽苦(いんぺいく)と露呈苦(ろていく)です。

パーリ語ではパティッチャンナドゥッカ、これが隠蔽苦、そしてアーパティッチャンナドゥッカ、これが露呈苦となります。

隠蔽苦とは、外から見えない苦、苦を感じている当人しかわからない苦のことです。

自分から告げない限り、他の人が、その苦を知ることはできません。

頭痛、歯痛(はいた)などもそうですし、末期ガンの苦痛などもそうですね。

鎮痛剤を投与する、あるいは意識を失うなどして、一時的に苦痛を逃れても、苦の原因が根治されなければ、この苦痛は無くなりません。

これらは、肉体的隠蔽苦と呼ばれているものです。

隠蔽苦は、肉体的痛みだけではありません。

心で感じる苦痛、不快感、悲しみなども、外から見ることはできません。

このような苦は、精神的隠蔽苦と言われています。

次は露呈苦。

露呈苦とは、外からでもはっきりと推察できるような苦を言います。

肉体的露呈苦であれば、刃物で切られたり、銃で撃たれたりした傷がある、血を流している、苦痛でのたうち回っているなど、明らかに肉体的苦痛を感じていることが、外からわかるのです。

さらに、精神的露呈苦、心の露呈苦というものもあります。

これは、パリデヴァすなわち激しく泣く、という行為や、不快感で顔をしかめる、怒りの表情を表すなどですね。

このような場合は、心の中の苦、不快感、怒りなどが、外からも推察できるわけです。

これを、精神的露呈苦と言います。

以上が、七種の苦の、第一のグループです。

隠蔽苦、外からはわからない苦、そして露呈苦、外からでも推察できる苦です。

それでは、第二のグループです。

このグループは、時限苦(じげんく)と現起苦(げんきく)の二つからできています。

時限苦、時限爆弾の時限ですね。

これは、現時点では生起していないけれども、いつでも生起し得る苦です。

パーリ語では、パリヤーヤドゥッカと言います。

これにも、肉体的時限苦と精神的時限苦があります。

肉体的な時限苦とは何でしょうか?

肉体を持っている限り、私たちは、常に苦のリスクに脅かされています。

たとえ、歯の神経一本が痛んでも、胃けいれんが起きても、毒虫に刺されても、一晩中のたうち回り、七転八倒するような苦痛を受ける危険性があります。

いついかなる時にも、苦は、突然始まる可能性があります。

私達の肉体は、実に、苦の温床に他なりません。

時限苦は、肉体だけとは限りません。

人間関係であれ仕事であれ、うまくいっている間は良いですが、突然大きなトラブルに巻き込まれれば、地獄のような苦しみを味わうかもしれません。

そのリスクは、常にあるわけです。

肉親や愛する人の死、彼等との離別、とうてい受け入れることのできない現実との遭遇など、私達が一晩中泣き叫び、生きることに絶望するような苦痛が、いついかなる時にも、生じる危険性があるのです。

私達の心もまた、実に、苦の温床に他なりません。

肉体的にも精神的にも、私達は時限爆弾を抱えて生きている、ということがよくわかるでしょう。

私達にとって生きるということは、そのリスクを抱えて、ずっと生存し続けることに他なりません。

現在は生起していないけれども、いついかなる時にも生起し得る、時限爆弾のような苦、それを、時限苦、パリヤーヤドゥッカ、と言うわけですね。

それでは次の現起苦とは、どういうものでしょうか?

現起苦とは、現在すでに生起している、現起している苦という意味です。

パーリ語では、ニッパリヤーヤドゥッカ、と言います。

肉体的苦であれ、精神的苦であれ、表に出ている露呈苦であれ、外からはわからない隠蔽苦であれ、苦がすでに生じていれば、それは現起苦であるというわけです。

以上が、第二のグループです。

時限苦すなわち、今は生じていないけれども、いつでも生じる危険性のある苦。

そして現起苦、もうすでに生じている苦。

この二つが、第二のグループです。

それでは、第三のグループです。

私達は、苦しみ、痛み、悲しみ、不快、怒り、などを感じるときは、それは苦であるとしますが、快さ、喜び、楽しさ、希望、幸せ、などを感じるときは、それを、楽、とします。

しかし、本当にそうでしょうか?

第三のグループでは、それを考察します。

まず最初は、苦を感受する場合です。

それは明らかに苦ですから、苦を感受する苦で、苦苦(くく)と呼びます。

これは、先ほどの現起苦と同じで、すでに生じている苦のことです。

パーリ語では、ドゥッカドゥッカと言います。

次は、楽を感受する場合です。

最初は心地よい楽を感受する対象が、無常であるがゆえに、結局最後には苦に変わっていくということです。

変化によって、楽が破壊されるという意味で、壊苦(えく)と呼ばれます。

破壊の壊という字に、苦しみの苦で、壊苦(えく)と読みます。

パーリ語では、ヴィパリナーマドゥッカと呼びます。

直訳は、変化による苦、となります。

この苦は、当初、本人にとって好ましいあるいは楽しい対象、すなわち肉体的快感や、精神的喜びをもたらしてくれるものでなくてはなりません。

それがこの、壊苦の条件です。

壊苦の現れ方としては、以下の三通りのパターンがあります。

一. 当初、好ましい楽しいものだった現象が、次第に変化していき、消滅に至る場合です。
たとえば、最愛の夫が急死した。
良い条件の取引が、打ち切られた。
などといったケースです。

二. 当初、好ましい楽しいものだった現象が、次第に変化していき、もはやそれが、好ましいものでも楽しいものでもなくなってしまう場合です。
すばらしかった人間関係が、気まずいものになった。
かつては、多くの人から信頼されていたが、信用が完全に失墜した。
かつては、町一番の美人だったが、今は誰も相手にしてくれない。
などのケースです。

三. 好ましい楽しい対象を、継続して好ましい状態に保つために、多大な努力を必要とし、その過程で、不安や心配、ストレスに悩まされる場合です。

すべての現象は、変化していく質を持っているので、それを変化させまいとすると、大きな矛盾が生ずるわけです。
若さを保つために、美容整形を繰り返す。
老年になっても、健康を自慢したいため、体力維持や予防検診などに多くの時間とお金を使う。
などのケースが、これにあたります。

以上が、壊苦、変化による苦です。

この世は無常であるがゆえに、最初は快さを感受するものであっても、最終的には、それが必ず苦に変わってしまうということですね。

以上が第三のグループ、苦苦と、壊苦=変化による苦、です。

ここまでで、三つのグループ、2+2+2、合計六種類の苦の解説を致しました。

そして残るひとつの苦、それは、行苦、サンカーラドゥッカ、となります。

七つの苦の最後、すべての苦の総まとめとなる苦ですね。

これについては詳細な解説が必要ですので、次回まとめて、お話することに致します。

それではまた、お会いしましょう。

以上
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